2013年3月4日月曜日

大和はヤマトでなく「ウワ」への当て字



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:8頁

 《大和はヤマトでなく「ウワ」への当て字
 「大和はヤマトでなく「ウワ」への当て字


 しかし奈良にはウワイはないがウワはある。

 それへの当て字が「ウワ=大和」だ。

 それは大坂市の上(ウエ)の宮が、

 本来は聖徳太子の宮跡地名だから

 「ウワのミヤ」と発音すべきものであることを考えると、

 大和をヤマトと読むようになったのは、

 倭国(ウワイト)が日本(ニップヌ)に変わった7世紀以後で、

 3世紀の発音ではない。

 ウワイトへの当て字は天武天皇の名乗り

 「大海人(ウハイト)=ウワイト」で、

 ヤマト=山人とは相容れない人たちの名である。

 ヤマトは邪馬人なのだから、

 邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるように変わった

 唐代(7世紀)以後でないと存在しない名なのだ。

 しかし、その「大和」という当て字は、

 古く、倭人(ウワイト)が台湾に居た時代に

 大和人(ウワヒト)と書かれたものである。

 その大和が、後世、大和=タイワの国=タイワンと読み方が変わって、

 それの当て字が臺湾と書かれるようになったものが今、

 常用されているのである。

 これで、倭人が台湾経由で来たことも立証されたし、

 台湾が小琉球と呼ばれ沖縄が大琉球と呼ばれたのは、

 首都が台湾から沖縄に移ったためだ。

 と明確に理解でき、大きな謎がもう一つ解決した。

 この「大和(ウワ)」が国称に使われたのは

 元正女帝の小都(天理付近)名以後である。

 それもまた聖徳太子時代の「ウワ」への復帰だった。

 「ヤマト」とは元々、

 ウハヒト=上人=貴族と対比した

 「下層民=山人・隼人」という

 意味の蔑称として使われたものなのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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