2013年3月14日木曜日

壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:18頁

 《壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩
 「壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩


 この薩摩は、当て字を変えると「殺馬」とも書ける。

 これは伊都国から水行20日の所にある「投馬」によく似ている。

 こちらは『倭人章』の中では一度しか出てこないから、

 偏の上部が見にくいと、どちらか判らなくなる文字である。

 沢山書かれている壹の字とは違う。

 そこで伊都からの距離を計算してみると、

 伊都から邪馬壹国までは水行10日、陸行1月。

 これは牛津の南から熊本県の八代までの航海と、
 
 八代から球磨川沿いに鹿児島県の隼人まで歩く行程だと、

 すでに確定しているから、

 水行20日だと鹿児島県の川内市あたりに投馬国があることになる。

 すると前にお話しした「委面土国」への疑念が一気に氷解する。

 『後漢書』の最古版が引用されている北宋版の『通典』には、

 帥升の肩書きが『委面土国王』と書かれている。

 内藤湖南がこれを「ヤマト」と読めると主張した有名な国名である。

 だが、委はウワイだから、あとの「面土」が小国名である。

 漢魏音で

 面はミャン、土はヅーだからミャンヅー、

 するとその通りの発音をもった町がその薩摩郡にある。
 
 それが宮之城だとお話ししたのである。

 帥升の発音はスイサヌウ。

 スサノオの名乗りをもつから、後漢代にはここが首都だったのである。

 『倭人章』が邪馬壹国と並べて特記した投馬は、

 やはり殺馬=薩摩だったのである。

 だからこそ壹與は隼人からそこへ遷都したのだ。


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