2013年3月13日水曜日

邪馬壹国は女王国 伊江津国で後の薩摩



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:17頁

 《邪馬壹国は女王国 伊江津国で後の薩摩
 「邪馬壹国は女王国 伊江津国で後の薩摩


 邪馬臺が「絶対にヤマトと読めなかったのに対し、

 邪馬壹国のほうは、しっかりした国名として、

 その意味が完全に理解できる。

 3世紀に魏使が使った魏音では、

 部はジォ、

 馬はマ、

 壹国はイェッマだから

 「女王国(ジオマ)・伊江津国(イエッマ)(壹国)」

 この壹はマレー語で「サツ」だから、国のマが付けばサツマ、

 後世の当て字「薩摩」と呼ばれた地域の名だと解る。

 邪馬臺は3世紀には実在していないが、

 邪馬壹は、これだけの内容を持った国名だったのである。

 しかもこの女王国(ジオマ)は薩摩に移る以前に、

 屋久島にあったことが判る。

 『新唐書』の「日本」の章末に、

 「又、邪古、波邪、多尼の三小国有り」とあって、

 その発音の特徴から沖縄語の国名に、

 唐の発音で当て字してあることが判る。

 邪古はヤクで屋久島。

 波邪はハヤ、で隼人。

 多尼はタニで、

 『日本書紀』の天武天皇紀に多禰(タネ)と当て字してある種子島である。

 これは3世紀には旁国の中にも無かった国名である。

 しかし旁国の中に投馬国がある。

 馬は国を意味するマへの当て字だから、邪馬は邪国で、

 その南に女王国に属さない「狗奴国」があった。

 狗奴国は狗の国で、この二つの国が一つになれば

 邪狗(ヤク)、

 唐代の邪古はこれに間違いない。

 これが屋久島の歴史である。

 その東に隼人、さらに東に種子島と揃っているのが動かぬ証拠だ。

 邪馬と伊江島との女王が、

 後の薩摩に都したのが邪馬壹国だったのである。

 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
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 『言語復原史学会:画像』 
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