ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月24日日曜日
40を超える大和説壊滅の証拠群
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録39:28頁
《40を超える大和説壊滅の証拠群》
「40を超える大和説壊滅の証拠群」
ここで先に概算した後、
確認したものを約20として
「大和説は間違いだ」と判る記事が
『倭人章』にどれ程あるか、リストアップして、まとめてみよう。
34 「倭地温暖冬夏生薬を食す」
これは南九州のことで、当時の奈良の冬には不可能。
35 「皆 徒洗=裸足」
高地で厳寒の奈良では冬はとても裸足では暮らせない。
36 「女王国の東 渡海千里 また国あり」
奈良の東には海はない。
37 「侏儒国その南にあり。女王を去る四千余里」
奈良の南四千余里には島国はない。
38 「其東南 船で一年で至るべし」
奈良からは船は出せない。
39 「倭地は海中洲島の上にあり周旋五千余里ほどだ」
奈良は陸地に囲まれれていて、
とても海の中の島の上にあるなどとは感じないし、
その周囲を五千余里ほどだとか、
一周できると想像するような環境ではない。
これは九州の描写に間違いない。
40 「梯儁ら 倭国に詣り 倭王に拜假」
郡使は伊都までしか行かないのだから
倭王に会った場所は伊都以外にない。
外出すらせず、見た者の少ない老齢の卑弥呼が
奈良から駆け付けたのなら、
それを詳細に誇らしげに報告するのが必然なのに、
そんな肝腎な報告がないのは、
女王国が九州にあったことの動かぬ証拠なのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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