2013年3月30日土曜日

「至○○国○里」は「○○国まで○里」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:6頁

 《「至○○国○里」は「○○国まで○里」
 「「至○○国○里」は「○○国まで○里」


 この「水行10日、陸行1月」は、

 一見暖昧でいい加減な表現に見えるため、

 『魏書倭人(ウワイト)章』そのものを粗雑な文献だと思わせ、

 「大和説」を発生させた原因の一つになっている。

 だが、これも読む方が「いい加減」だったのであって、

 全文をよく読めば、

 この「水行10日陸行1月」や「水行20日」が、

 他の部分にさらに里数で表示されている。

 これは文献の正しい読み方を教えているから、

 この機会にお話ししておこう。

 旁国の後に狗奴国を書いた後、

 「自郡 至女王国 萬二千余里」と書いてある。

 いうまでもなくこれは帯方郡から女王国までの距離の「総括」なのである。

 ここにもう一つ、大切な証拠がある。

 それは「至女王国」である。

 この書き方は「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国という記事の、

 正しい読み方を説明して教えている。

 「自郡 至女王国」は「郡から女王国に着く」ではなくて、

 「郡から女王国までは」(菖二千余里ある)が正しい読み方である。

 伊都国を起点にした「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国」も総て、

 伊都国から「奴国までは百里」「不弥国までは百里」という、

 伊都を起点にした距離説明である。

 それを「至」は「着く」だと思い込んで、

 次々に連続通過するコースだと主張した大和説者は、

 余りにも漢文に無知過ぎたのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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