ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月30日土曜日
「至○○国○里」は「○○国まで○里」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録40:6頁
《「至○○国○里」は「○○国まで○里」》
「「至○○国○里」は「○○国まで○里」」
この「水行10日、陸行1月」は、
一見暖昧でいい加減な表現に見えるため、
『魏書倭人(ウワイト)章』そのものを粗雑な文献だと思わせ、
「大和説」を発生させた原因の一つになっている。
だが、これも読む方が「いい加減」だったのであって、
全文をよく読めば、
この「水行10日陸行1月」や「水行20日」が、
他の部分にさらに里数で表示されている。
これは文献の正しい読み方を教えているから、
この機会にお話ししておこう。
旁国の後に狗奴国を書いた後、
「自郡 至女王国 萬二千余里」と書いてある。
いうまでもなくこれは帯方郡から女王国までの距離の「総括」なのである。
ここにもう一つ、大切な証拠がある。
それは「至女王国」である。
この書き方は「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国という記事の、
正しい読み方を説明して教えている。
「自郡 至女王国」は「郡から女王国に着く」ではなくて、
「郡から女王国までは」(菖二千余里ある)が正しい読み方である。
伊都国を起点にした「至奴国~至不弥国~至殺馬国~至邪馬壹国」も総て、
伊都国から「奴国までは百里」「不弥国までは百里」という、
伊都を起点にした距離説明である。
それを「至」は「着く」だと思い込んで、
次々に連続通過するコースだと主張した大和説者は、
余りにも漢文に無知過ぎたのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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