2013年8月30日金曜日

スバル人とスバルトゥ(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:173頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(5)

  以上、日本で出版されたオリエント史における

 アッシリアと絡めたスバル人についての解説を取り上げてみた。

 「スバル人」との名称を上げるものは一書だけで、

 アッシリア、スバルトゥ、シュバリの用語法に

 統一が取られているようにみられるが、

 地方名であったり多少の混乱がある。

 これらを整理すると次のようになる。

  コーカサスのグルジア語によると、

 シュヴィリ shvili は「息子」を

 アシュリ asuli は「娘」を意味するが

 この両語は古代のシュバリ shvali 及びアッシュール assur に

 対応するものと考えられる。

 古アッシリアが王国として北メソポタミアに君臨し始めたのは

 紀元前二千年頃からであるが、

 スバル人はそれより古くから、史料に表れてからでも千年間以上、

 実態はさらに古い時期から

 西アジアの広い範囲で活動していたと思われる。

 彼等の祖地名を svarti (スバルの土地)というのである。

 スバル人のシンボルは十字紋であるが、

 その交差する二つの軸を「息子・娘」と考えていたようにみられる。

 シュバリとアッシュールはスバル人の構成要素である。

 アッカド語にある

 少年を意味する suharu と少女を意味する shartu は、

 シュメル語の sabal 子供・子孫の派生語と考えられる。



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 オリエント史

 コーカサス

 グルジア語

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