ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年8月4日日曜日
埋葬儀礼と牛頭(5)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:107頁
第二章 埋葬儀礼と牛頭(5)
人間の頭骨が床に置かれるのはこれまでの慣習と変わっていない。
このような状況から推測すると、
埋葬儀礼に係わる牛頭への崇拝が
すでに成熟していただろうということが解かる。
本物の牛頭骨は少なく、塑像が多くなった状況は、
形式化が始まっていたと判断してもよい。
また、民家の祠堂で燔祭(はんさい)が行われたとは考えられず、
儀式のみが祠堂内で行われたと思われる。
そうすると燔祭はすでに行われなかったのだろうか。
前世代のチュユヌ遺跡の例でみられたように、
犠牲祭は集落内の別の聖所で行ったとおもわれる。
それが神殿である。
民家の祠堂は納骨堂と考えてよいであろう。
チャタル・フユク遺跡での神殿の姿を
まだみることができないのは残念である。
人々が住宅に入るのは屋根からであった。
民家の屋根と屋根との間にははしごが掛けられ、
屋根を伝って行き来した造りになっている。
地面には中庭はあるものの路地はなく、
特異な空間である。
『参考』
まんどぅーかネット
シュメル語・日本語
《Key Word》
燔祭
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