2013年8月29日木曜日

スバル人とスバルトゥ(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:172頁

 第三章 スバル人とスバルトゥ(4)

  一九九八年発行のミネルヴァ書房『西洋の歴史・古典中世編』は

 アッシリアについて次のように述べる。

  「紀元前三千年紀半ば頃から紀元前二千年紀の初めにかけて

   現在のイラク北部、北緯37度付近から小ザブ川との合流点に至る

   ティグリス川中・上流域と西方の原野へと広がる逆三角形の地域は

   シュビルないしスバルトゥと呼ばれた。

   この地域が後のアッシリア本土である。

   そこには土着語を話すフルリ人と

   親縁関係にある原住民スバル人のうえに、

   東セム系遊牧民が支配的要素として加わり、

   さらにシュメル文化の影響の下に都市アッシュール、ニネヴェが造られた。

   南方のアッカド王朝やウル第三王朝の支配を受けた後

   紀元前二千年頃からアムル人の侵入を受けたが、

   このころから紀元前一四世紀までを古アッシリア時代と呼ぶ。」



 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ミネルヴァ書房

 ニネヴェ

 ウル第三王朝

 アムル人

 古アッシリア時代

 

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