2013年8月5日月曜日

野牛狩と殺牛技法(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:111頁

 第二章 野牛狩と殺牛技法(2)

 紀元前六千年紀のハラフ期に

 すでに野生牛を仕留める技法が確立していたのではなかろうか。

 その技法は、スペインなどで盛んに開催されている

 闘牛ショウの過程が参考になる。

 闘牛の規則と作法によると一チーム七人で殺牛に当たる。

 一人が馬上から牛の首根を刺すことから始まる。

 牛の力を削ぎ、弱らせるためである。

 古代の野牛狩の場合は

 弓矢を打ち込み牛の弱まるのを待ったであろう。
 
 闘牛ショウの場合は赤い布を駆使した見せ場が展開され、

 最後牛の命を絶つために剣士(マタドール)が

 剣で頚椎の間をねらって突きこむ。

 心臓につながる筋肉と神経を切断するためである。

 牛を瞬時にして絶命させるには剣を突く角度が重要であるという。

 マタドールの行為は、牛の咽喉を切る、

 つまり、屠殺を意味する。

 三叉の矛は牛を弱らせるために使われた

 槍の役目を果たしたと思われる。

  日本の『古事記・日本書紀』に記述された

 天石窟前における天鈿女命の舞踏に隠された伝承を辿ると

 紀元前六千年期の北メソポタミアに起源があることとなる。

 シュメル人が南メソポタミアに現れる時期よりも

 アルパチヤ遺跡の時代は三千年も古い。

 その当時、

 牛や雄牛などを何と呼んでいたかを明かす言語的史料は全くない。

 言葉を書くという技術をまだ思いついていなかったのである。

 その事実を確認した上で、推測を展開してみたい。

ARPACHIYAH1976



 『参考』

 まんどぅーかネット

 シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ハラフ期

 halaf

 Arpachiyah

 マタドール

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