創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:175頁
第三章 スバル人の商業活動(1)
紀元前二千年頃のアッカドのセム族たちが
なぜ北メソポタミアへ興味を示し進出していったのだろうか。
人口が増加して居住地を求めたからなどをいう単純な理由はありえない。
この地域が商業活動の重要なセンターになっていたからである。
紀元前三千年頃よりの活動によってスバル人たちは
北メソポタミアから東はザクロス山脈を越え、
西方はアナトリアから地中海沿岸までの商業ネットワークを形成し、
産業開発の基地を設立して、
商人たちを有機的に組織して運営していたと考えられる。
紀元前二千年を越えた
シャムン・アグト一世がシンジャール山脈の北側の平野、
スバル人の中心的地域に首都シュバト・エンリルを開いた頃、
私的商人組織が対外貿易に忙しく従事していたとの記録がある。
彼等の主に扱ったのは金属と織物である。
特に金属工 thveli たちは、旧約聖書創世記の「カイン」のように
原料を求めて歩き回っていたと考えられる。
スバル人たちは「北方山間の蛮人」などでなく、
真に金属時代の扇を開いた先進的産業開拓者であったのである。
ARPACHIYAH 1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
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《Key Word》
セム族
ザクロス山脈
アナトリア
シュバト・エンリル
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