創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:127頁
第二章 高床式建物と神殿(5)
はしごについて『The New Jerome Biblical Commentary』は
英語のladder(はしご)ではなくramp(斜面路)、
つまりstairway(階段)のことであると解説している。
べテルは現在のイスラエルのイェルサレムに近いベツレへム市で、
古代にはカナアンのうちにあった。
階段を昇って神の家に至るという観念には西アジアに広くあった。
神殿を建造する際の重要な要素である。
バビロン時代からアッシリア時代を通してメソポタミアでは
数多くのジッグラドと呼ばれる巨大聖塔が作られた。
土塁を高く積み上げてその上に神殿を設けたのであり、
墓所としてつくられたエジプトのピラミッドとは性格を異にする。
ジッグラドはアッカド語の名称で、
シュメル語の呼称はエ・マハ é mah である。
これは「大きな神殿」とともに
「高みにある神殿」の意味でもある。
そして、頂の神殿に昇るための階段が必ず付設された。
エリドゥの最下層の神殿が土塁の上に建てられたのも
同様の考え方の表れで、すでに後の聖塔の構成要素を示している。
専門家が、現在知られる神殿(祠堂)の下には
さらに古い遺構があるのではないかと疑っているが、
煉瓦で作られた建物ではない、
木造建物ないし葦屋の高床式神殿があったと推測できるのである。
ジッグラドのシュメル語での呼称には、
前記の é mah とは別の呼称があり、
その用語は「hur-sag galam-ma」で
「大きな階段のある山」の意であった。
「hur-sag」が山を
「ma」が大きい、高い、
「galam」が階段を表す。
聖塔における階段は「高み」にある
神殿(神の家)に仙りつくための単なる手段でなく、
信仰の象徴であったとさえ思える。
ARPACHIYAH1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
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シュメル語・日本語
《Key Word》
ジッグラド
バビロン時代
アッシリア時代
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