2013年8月13日火曜日

高床式建物と神殿(5)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:127頁

 第二章 高床式建物と神殿(5)

 はしごについて『The New Jerome Biblical Commentary』は

 英語のladder(はしご)ではなくramp(斜面路)、

 つまりstairway(階段)のことであると解説している。

 べテルは現在のイスラエルのイェルサレムに近いベツレへム市で、

 古代にはカナアンのうちにあった。

  階段を昇って神の家に至るという観念には西アジアに広くあった。

 神殿を建造する際の重要な要素である。

 バビロン時代からアッシリア時代を通してメソポタミアでは

 数多くのジッグラドと呼ばれる巨大聖塔が作られた。

 土塁を高く積み上げてその上に神殿を設けたのであり、

 墓所としてつくられたエジプトのピラミッドとは性格を異にする。

  ジッグラドはアッカド語の名称で、

 シュメル語の呼称はエ・マハ é mah である。

 これは「大きな神殿」とともに

 「高みにある神殿」の意味でもある。

 そして、頂の神殿に昇るための階段が必ず付設された。

 エリドゥの最下層の神殿が土塁の上に建てられたのも

 同様の考え方の表れで、すでに後の聖塔の構成要素を示している。

 専門家が、現在知られる神殿(祠堂)の下には

 さらに古い遺構があるのではないかと疑っているが、

 煉瓦で作られた建物ではない、

 木造建物ないし葦屋の高床式神殿があったと推測できるのである。

  ジッグラドのシュメル語での呼称には、

 前記の é mah とは別の呼称があり、

 その用語は「hur-sag galam-ma」で

 「大きな階段のある山」の意であった。

 「hur-sag」が山を

 「ma」が大きい、高い、

 「galam」が階段を表す。

 聖塔における階段は「高み」にある

 神殿(神の家)に仙りつくための単なる手段でなく、

 信仰の象徴であったとさえ思える。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 ジッグラド

 バビロン時代

 アッシリア時代

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