ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年8月10日土曜日
地名「アルパチヤ」(1)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:121頁
第二章 地名「アルパチヤ」(1)
これまで説明の対象にしてきた碗形土器を出土した
アルパチャ遺跡からは、その他にも牛頭意匠をあしらった
鉢形土器などの彩色土器類が発見されていることは先に説明した。
これらの土器類は外から輸入されたものでなく、
この域内で焼成されたものであることは
イスマイル・ヒジャラなどイラクの専門家の発掘調査により
明らかになっている。
ここに「牛頭信仰」の拠点があったことを知らせる
土器類の遺留状況である。
アルパチャ・Arpachiya遺跡はニネヴェの東側で
そう遠くない地点に位置している。
ニネヴェはアッシリア帝国の中心都市であった。
紀元前1800年頃に北メソポタミアに君臨し始めた
古アッシリアは首都を南下させ、
新アッシリアの紀元前九~七世紀になると
ニネヴェを中心とする地域に首都を置くようになる。
アッシリア語の牛頭を表す用語はアルプ alpu である。
この言葉は北メソポタミア起源でもないし、シュメル語でもない。
紀元前一千六百年を少々遡る頃地中海沿岸のカナアン地方で
発明された原カナアン文字の系統に連なる言葉である。
※イラクの考古学者イスマイル・ヒジャラ(ISMAIL HIJARA)が
1976年に報告した:
IRAQ VOLUME XLII PART2 AUTUMN 1980 ARPACHIYAH 1976
by ISMAIL HIJARA AND OTHERS
ARPACHIYAH1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
まんどぅーかネット
シュメル語・日本語
《Key Word》
アルパチヤ
碗形土器
牛頭意匠
鉢形土器
ISMAIL HIJARA
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ニネヴェ
アッシリア帝国
古アッシリア
新アッシリア
アルプ alpu
カナアン地方
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