2013年8月11日日曜日

高床式建物と神殿(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:124頁

 第二章 高床式建物と神殿(2)

  まずどのような理由により高床式建物は造られたのであろうか。

 推測の範囲に過ぎないが、

 農耕が進歩し耕作面積が拡大したことにより、

 麦類が主な穀類であることは明らかだが、

 その収穫量が増え、

 重要な種になる穀粒を

 安全に保管する必要が生じたのではないだろうか。

 河川の洪水で野生獣の群れの襲撃を避けるためには高い所に

 貯蔵しておくことが有利であったからと考えられる。

 ハラフ期のその当時の草原地帯は害を及ぼす野生獣を

 完全に排除できるような状況ではまだなかったのではないか。

 また、家畜化したとはいえ

 羊、山羊などは放し飼い状態であっただろう。

 シュメルの絵文字など柵に囲われた様子を礎にした

 羊の表記(○のなかに+⊕)がみられるが、

 その時代より三千年も古い時代の状況である。

 動物を柵内に囲って飼育し始めたのは何時の頃だろうか。

 大ザブ川沿いのザウィ・チェミ遺跡の羊の家畜化が始まった頃は

 その必要も全くなかっただろう。

 柵が必要になったのは

 牛や馬の大型獣の家畜化を始めた時期以降だろう。

 野生の馬や牛が絶滅に近くになり、

 その確保の必要に迫られてからと考える。

 必要量の不足が予想されて捕獲して保持する

 あるいは繁殖させる知恵が働いたのである。

 ARPACHIYAH1976



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 高床式建物

 ハラフ期

 シュメルの絵文字

 大ザブ川

 ザウィ・チェミ遺跡

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