創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:124頁
第二章 高床式建物と神殿(2)
まずどのような理由により高床式建物は造られたのであろうか。
推測の範囲に過ぎないが、
農耕が進歩し耕作面積が拡大したことにより、
麦類が主な穀類であることは明らかだが、
その収穫量が増え、
重要な種になる穀粒を
安全に保管する必要が生じたのではないだろうか。
河川の洪水で野生獣の群れの襲撃を避けるためには高い所に
貯蔵しておくことが有利であったからと考えられる。
ハラフ期のその当時の草原地帯は害を及ぼす野生獣を
完全に排除できるような状況ではまだなかったのではないか。
また、家畜化したとはいえ
羊、山羊などは放し飼い状態であっただろう。
シュメルの絵文字など柵に囲われた様子を礎にした
羊の表記(○のなかに+⊕)がみられるが、
その時代より三千年も古い時代の状況である。
動物を柵内に囲って飼育し始めたのは何時の頃だろうか。
大ザブ川沿いのザウィ・チェミ遺跡の羊の家畜化が始まった頃は
その必要も全くなかっただろう。
柵が必要になったのは
牛や馬の大型獣の家畜化を始めた時期以降だろう。
野生の馬や牛が絶滅に近くになり、
その確保の必要に迫られてからと考える。
必要量の不足が予想されて捕獲して保持する
あるいは繁殖させる知恵が働いたのである。
ARPACHIYAH1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
まんどぅーかネット
シュメル語・日本語
《Key Word》
高床式建物
ハラフ期
シュメルの絵文字
大ザブ川
ザウィ・チェミ遺跡
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