ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月29日月曜日
メソポタミアの開明期と彩文土器(5)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:89頁
第二章 メソポタミアの開明期と彩文土器(5)
ハラフ文化の後にやってきたのがウバイド文化である。
その分布範囲にはエリドゥのあるペルシャ湾沿岸から
チョガ・マミの辺りまで両大河の周辺に限られた狭い地域である。
その最古の遺跡は紀元前五千九百年頃までに遡及するとされる。
このエリドゥの最古の遺跡から始まる時期を
ポラダの編年表ではエリドゥ期と呼んでいた。
この文化の象徴は
サマッラ文化との類似がみられるという点である。
ロンドン大学のジェイムス・メラート教授は、
サマッラ文化の顕著な広がりが
南メソポタミアやフジスタンを中心としてみられ、
エリドゥなどの遺跡がサマッラ中期・後期文化の大きな影響を
受けていると指摘した。
さらに北メソポタミアでは天水農耕が可能であるが、
南メソポタミアは灌漑をしないと農耕が不可能なのであり、
この灌漑農耕によって
シュメルやアッカドの文明が可能となったといえようとも述べている。
灌漑技術の発明は人々の生活に革命的変化をもたらしたのである。
その最高の技術は単に人から人へ、地方から地方へ
伝播されたというのではなく、
技術者達が賢者として移動していったと十分考えられる。
サマッラ文化のエリドゥへの影響について、
マックス・E.L.マロワンも「ケンブリッジ古代史」の中で
「エリドゥの陶器が持つ重大性は疑いもなく
かなり北方のサマッラと知られる
彩文土器のグループから影響を受けていることである」
と述べている。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
ハラフ文化
ウバイド文化
エリドゥ
ペルシャ湾沿岸
チョガ・マミ
紀元前五千九百年頃
ポラダの編年表
サマッラ文化
シュメル
アッカド
マックス・E.L.マロワン
ケンブリッジ古代史
サマッラ文化
ジェイムス・メラート教授
南メソポタミア
フジスタン
彩文土器
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