ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月25日木曜日
供儀の起源(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:74頁
第二章 供儀の起源 (2)
メソポタミアとは、「二つの川の中央」を
意味するギリシャ語を地方名としたものである。
古代メソポタミア文明は
現在のイラクとシリア、トルコ、イランの地籍の一部を
含んで発展拡大した文明である。
イラク国では
ペルシャ湾に近い地方をシュメル、
その北をアッカド、
その北方のバグダッドを中心とする地帯をバビロニア、
そのまた北方シリア・トルコ・イランの国境に挟まれた
モスールを中心とする地帯をアッシリアと呼んでいる。
歴史的時代区分の呼称も
この地方名の南からの序列で呼ばれてきたのである。
シュメル前代は紀元前三千年代、
アッカド時代は紀元前二三五〇年から
バビロン王朝の時代は紀元前一八三〇年からとされている。
一方北方では
スバル人がシュメル前代より勢力を持っていたと考えられるが、
紀元前二千年ころから
アッカドの勢力とスバル人の一部が混合して
古アッシリア、
中期アッシリア、
新アッシリアと
三回にわたりメソポタミア中原に覇をとなえた。
この間栄枯盛衰は激しいものがあったが、
紀元前五三九年に新バビロニアが
イランのスーサから興った
ペルシャ帝国によって滅亡させられて、
メソポタミアの古代文明の時代は終わりとなった。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
メソポタミア
シュメル
アッカド
バビロニア
モスール
アッシリア
シュメル前代
アッカド時代
バビロン王朝
スバル人
古アッシリア
中期アッシリア
新アッシリア
スーサ
スーサ
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