ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月21日日曜日
淀姫と矢保佐神社(3)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:55頁
第一章 淀姫と矢保佐神社 (3)
さらに、御厨町および調川町に
矢保佐神社と称する神社が鎮座している。
このこれまで正体の知られなかった神社も
正にドゥルガー女神信仰に係わっていたのである。
矢保佐は大麦のことである。
サンスクリット語の大麦 yavasa で、
その転訛が矢保佐なのである。
この地方ではドゥルガー女神を信仰し、
大麦を供え、その豊饒を祈願したのである。
そして女神から、
つまり神社から供物として、
麦芽モルツが人々に配られたと考えられる。
というもの、この地方名松浦郡は
「魏志倭人伝=魏書倭人章」に登場する末廬に依拠し、
末廬はマツーラ、
麦芽モルツから作られた水飴あるいは麦芽糖のことで、
サンスクリット語 madhuura の転訛した甘味、甜、蜜、
石蜜奨を意味する。
後世仏教の時代となって、
お花祭り、つまりお釈迦さまの誕生を祝う祭りの日、
寺院では訪れた信者に甘茶がふるまわれたことにも共通する。
この慣習は
古代インドの神々の恵み甘露を礼拝者にふるまったことに由来する。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
調川町
矢保佐神社
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