ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月30日火曜日
メソポタミアの開明期と彩文土器(7)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:91頁
第二章 メソポタミアの開明期と彩文土器(7)
ハラフ期初期の彩文土器になるが、
イラクの考古学者イスマイル・ビジャラ(ISMAIL HIJARA)
が1976年に報告した:
IRAQ VOLUME XLII PART2 AUTUMN 1980 ARPACHIYAH 1976
by ISMAIL HIJARA AND OTHERS
アルパチヤ遺跡出土の碗形土器に描かれた彩文土器意匠には
驚きがある。
日本の神社に酷似した建物意匠が描かれているからである。
アルパチヤはニネヴェのすぐ東に隣接する遺跡である。
建物意匠ばかりでなく、
この碗形土器には宗教的物語が語られていて興味深い。
図の第一段には牛頭の正面、マルタ十字、蛇とマルタ十字、
さらに二人の人間とその身長より大きい壺、
第二段には半面の牛頭と幕と思われるものに二人の髪の長い女性。
第三段にには二頭の牛と矛を背に負い弓を手に持った狩人、
幕と思われる布、
そして第四段円の中には斜めの階段つき高床式建物を描いている。
この建物の構造は日本の神社の本殿そのものである。
メソポタミア北部のしかも紀元前六千年期の神殿が
日本の神殿とどう結びつくのだろうか。
また、この碗形土器を紹介する
増田精一は
「西アジアでは、
布幕はその背後に聖なるものの存在を象徴する時に用いられる」
とコメントしているが、
日本の神殿においても垂幕はつきものである。
この碗に描かれた布幕の内に坐す神は
どのような存在なのだろうか。
今のところその神名は不明である。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
ARPACHIYAH 1976 ISMAIL HIJARA AND OTHERS
ハラフ期初期の彩文土器
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牛頭の正面
マルタ十字
斜めの階段つき高床式建物
日本の神社の本殿
メソポタミア北部
増田精一
Arpachiyah知らせる
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