ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月31日水曜日
角の崇拝(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:95頁
第二章 角の崇拝(2)
メソポタミアを取り囲む山岳地帯で
現在も飼われている雄羊の角は、
牛や鹿のように起立することなく、
頭の側面に従って下がって生える。
しかも巻くこともなく先の方で
顔面の方へカーブを取るのが大半である。
よって、
釘状の遺物は「雄羊の角」を象徴したものと考える。
エリドゥの神殿への供犠は絶対的に魚であった。
しかし、魚には角がない。
人々はかって信仰の依代として崇めてきた動物のシンボルであり、
崇拝の依代の代表であった角を
粘土製の角で代用したと推測できる。
海岸地帯でしかも湿地帯であった地域は、
灌漑によって農地化し小麦などの穀物は生産できても、
多量の牧草を要する家畜の飼育は難しく、
頻繁に供犠するほど獲保できなかったのであろう。
彼等の信仰には角が重要であったのだ。
彼等の宗教的祖地は
牧畜が行われていた地域にあったと考えられよう。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
雄羊の角
依代
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