ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年7月27日土曜日
エリドゥ(6)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:83頁
第二章 エリドゥ (6)
「シュメル」の呼称はアッカド時代になって表れるが、
本来土地の呼称で彼等自身はキ・エン・ギ Ki.en.gi と呼んだ。
それは葦の土地(葦原)の意であった。
シュメル人は
第一の移住者たちの文化を拒否したわけではなく、
その伝統を引き継いだ。
そして革新・発明も行った。
その例が文字の発明であり、神話の集大成であった。
第一の先住民が移動してきた
紀元前五千年紀のウバイド期から
文書が書かれた粘土板ができるまで二千年の年月が経っている。
文書の遺留物のうち、
我々にみられるようになったのは
ウルク市から発見された
絵文字の粘土板がその嗃矢(最初)である。
シュメル語での判読はされているものの、
その当時これらの文書を使った人々が何と読んだかは
今のところ専門家の努力にもかかわらず不明である。
しかし、
これらの絵文字は楔形文字の原型と考えられている。
ウルク市は現在のワルカ市(ワルカ遺跡)
シュメル時代はウヌ unu と呼ばれ、
旧約聖書にはエレクと記述されている町である。
エリドゥと同じく市名の基になっている意味は
諸説考えられているが不確定である。
私見では、絵文字が発見された土地であることを
第一の理由として
「言語」ないし「書き言葉」
つまり文字を表しているのがウヌの原語である。
『参考』
まんどぅーかネット
《Key Word》
キ・エン・ギ
楔形文字
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