2013年7月27日土曜日

エリドゥ(4)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:82頁

 第二章 エリドゥ (4)

 また、神殿は常につき堅められた土台の上に建てられている。

 この土台の高度化が後に聖塔(ジックラト)へと

 発展したのだとの理解がされている。

 祭壇と供物台が対になっているのも

 その後のメソポタミアにおける神殿構成上の基本的要素となっている。

 大きな建物が造築されるようになると、

 補強のため外側に扶壁がつけられるようになるのも特徴である。

 供物台も、単に供物を置いただけでなく、

 台上で犠牲を焼いた痕跡の確認された遺構もある。

 建物の外には炉跡が最古の神殿の時代から掘られていた。

 その形は建物の壁と同様日乾煉瓦で固めた円形であった。

  現在、イラクのどこにもエリドゥの都市名はない。

 古代の名を現在までそのまま受け継いでいる

 ウル市の南にあるテル・アブ・シャハラインが遺跡地である。

 古代においてはペルシャ湾この辺まで入り込み、

 エリドゥはその海岸近くに建てられたのである。

 供物だったものの中に魚の骨が多くみられるのもそのためである。

 『参考』

 まんどぅーかネット

 《Key Word》

 ジックラト

 ウル

 アル・シャハレーン

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