2013年7月21日日曜日

淀姫と矢保佐神社(2)


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:54頁

 第一章 淀姫と矢保佐神社 (2)

  御厨の地名は鎌倉期に宇野御厨荘としてみえ始める。

 延喜式には「肥前国堧野牧」が載っているが、

 この牧では牛が養育されていたと思われる。

 後の「国牛十国」には御厨牛の名があり、

 「肥前国宇野御厨が牛を貢めたので、これを御厨牛と称する。

  角が長く、骨は太く、皮突は厚く、えだ肉も太い。

  ほとんどの牛は(体躯)大きい。

  中世・古代の名牛は、

  多くの場合ここから産出されたものである」

 と紹介されている。

 御厨の地名は、史料的には鎌倉期からであるが,

 実際はそれよりかなり古いものと推測できる。

 堧野牧もやはり「クリヤ牧」であったと考える。

  松浦市御厨町に僯して志佐町がある。

 その志佐町浦免に淀姫神社が鎮座している。

 淀姫とは、実にドゥルガー女神を呼んだものである。

 淀はサンスクリット語の yodha または yudha の転訛で、

 軍兵、武士をまた戦闘、合戦を表す。
  
 ドゥルガー女神を戦闘の女神と解釈し、直訳寄名したのである。

 『参考』

 まんどぅーかネット

 《Key Word》

 御厨の地名

 志佐町

 志佐町浦免淀姫神社

 ドゥルガー女神

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