2013年12月20日金曜日

アーリア人の侵入(8)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:424頁

 第八章 インド文化と祝祭 

 「アーリア人の侵入」(8)

  カーシャーン Kāshān を後にしたアーリア人は

 カビル砂漠の南を通ってアリアナへと徐々に移動したことになる。

 そこに至るまで百年以上の年月を要したことになるが、

 この間にイラン人とインド・アーリア人との分離が

 起こったとみるのが妥当であろう。

 そしてケルマン地方にいたバローチ人も東方へ押し出したとみられる。

  アルデスタンで祝祭を行っていた人々は

 メソポタミアの祝祭文化を受け入れ、共有していたであろう。

 ブラーフマンのブラフ brah- はシュメル語の barg (聖所)と同義で、

 ブラーフマンは聖所のことをよく知る者のことと考える。

  ARPACHIYAH 1976:高床式神殿、牛頭、空白の布幕、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)


 Tell Arpachiyah (Iraq) 

 聖所とはアルパチア遺跡の碗形土器の布幕の向う側のことである。

 シュメル語で śa-gu は牛飼いであるが、

 セム語では寺院(sagu)、サンスクリット語では sanga (僧侶) となり、

 その集団を sagara という。

 《Key Word》

 カビル砂漠

 アリアナ

 ケルマン地方

 バローチ人

 ブラーフマン

 アルパチア遺跡

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿、牛頭、空白の布幕、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

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