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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:424頁
第八章 インド文化と祝祭
「アーリア人の侵入」(8)
カーシャーン Kāshān を後にしたアーリア人は
カビル砂漠の南を通ってアリアナへと徐々に移動したことになる。
そこに至るまで百年以上の年月を要したことになるが、
この間にイラン人とインド・アーリア人との分離が
起こったとみるのが妥当であろう。
そしてケルマン地方にいたバローチ人も東方へ押し出したとみられる。
アルデスタンで祝祭を行っていた人々は
メソポタミアの祝祭文化を受け入れ、共有していたであろう。
ブラーフマンのブラフ brah- はシュメル語の barg (聖所)と同義で、
ブラーフマンは聖所のことをよく知る者のことと考える。
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿、牛頭、空白の布幕、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
Tell Arpachiyah (Iraq)
聖所とはアルパチア遺跡の碗形土器の布幕の向う側のことである。
シュメル語で śa-gu は牛飼いであるが、
セム語では寺院(sagu)、サンスクリット語では sanga (僧侶) となり、
その集団を sagara という。
《Key Word》
カビル砂漠
アリアナ
ケルマン地方
バローチ人
ブラーフマン
アルパチア遺跡
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿、牛頭、空白の布幕、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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