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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:344頁
「失われた十支族」といわれるヘブライ人がこの地方にいたと
指摘できる資料がヘブライの資料にもある。
それは旧約聖書にもその名前のある
「エズラ第四書」というヘブライ語の資料である。
そこにアルザレ Arzare という地方名が
「彼等が最後まで住んだ」地として記されている。
そこは、
ユーフラテス川を越えて一年半の長い道のりを要するところだといっている。
アルザレは、安定あるいは安価の訓音に近い。
また、博罗轉井の南西方に五七九八メートルの高さの
阿尓金山及びその名称の山脈があるが、
これは、ウィグル語の「黄金」を表す altun を
漢語化した名称とみられるが、「アルタン」もまたアルザレに近似する。
しかもアルザレ、アルタンはセム語(アッカド語)の同じく「黄金」を意味する
hurasu を祖語とするとみられるものである。
和氏については事情がある。
月氏が渡来する以前、ここは和氏の郷であった。
『史記』五帝本紀堯帝の
「和仲に命じて、西土に居らしむ。昧谷(まいこく)と曰ふ。
敬(つつし)みて日の入るを導(みちび)き、西戎を便程す」
とあることと係わるからである。
和仲は和氏の次子の意味で、西土は三危(さんき)とも呼ばれた。
同じ堯帝条に
「三苗を三危に遷(うつ)し、以って西戎に変じ」とあり、
三危は現在敦煌の東仏教の岩窟で有名な莫高窟のある三危山にその名を遺す。
西土は西戎の地である。
和氏はまた夏氏であり、
月氏が西遷して移り住んだ地を
大夏(バクトリア)というのはこれに依るものである。
夏は史記にも「夏本紀」があるが、殷より古い王朝とも考えられる。
以前には空想の王国とされていたが、
最近は考古学的資料が夏の実在を証明するようになり、
今では中国の最初期の王朝名として認められるようになっている。
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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