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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:423頁
第八章 インド文化と祝祭
「アーリア人の侵入」(7)
紀元前1800年頃
この地方の北方からカッシート(カッシー)人と
メソポタミアで呼ばれる部族がカーシャーン地方に侵入して来る。
そのため、アーラーンの集団は分断され、
一方は北方へ、一方は東方へと押し出される形で移動を始めたと考える。
カッシートの部族も武力をもって侵入して来たのではなく、
徐々にやってきたのであり、
エルボレス山脈方面の集団と考えてもよいのではないか、
彼等は南メソポタミアに入り、
王朝を樹立する前に
インド・ヨーロッパ族の神を信仰の中に取り入れている。
シュリアンシュ(太陽神)とマルタシュ(戦争神)がそれで、
それぞれサンスクリット語の神スリア、マルタに対応する。
また彼等の王名のうち
紀元前1415年頃のカラ・インダシュや
紀元前1300年頃の ナジ・マルタシュもその影響で、
インダシュはインドラに、マルタシュはマルタに対応される。
カッシート族の南メソポタミア侵入は
ヘブライ人の祖アブラムを
カルディアからハランへ移動させるきっかけになったと考える。
《Key Word》
カッシート
カッシート人
カーシャーン地方
カルディア
ハラン
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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