2013年12月18日水曜日

アーリア人の侵入(4)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:420頁

 第八章 インド文化と祝祭 

 「アーリア人の侵入」(4)

  第一章祝祭でアーリア人が重要視したものは

 牛と大麦であったことを紹介した。
 
 主に牛の飼育と大麦の栽培によって

 生活を保持してきた集団である。

 騎馬民族や羊を放牧する民族の移動は早い。

 羊は体躯が小さいものの、

 その草を食む喉頭の構造が前へ進まない。

 一方牛は静的で食べ始めたら前へ進まない。

 同じ所に立ち止まり周囲を舐めるように食べる。

 そのため牛を率いて移動するには時間を要する。

 羊の遊牧民は一夏に1000㎞をも移動が可能だが、

 牛を率いた場合は、そうはいかない。

 年数が掛かるのである。

 紀元前2500年頃メソポタミアを離れた

 バローチ人は1000年を掛けて

 現在のバローチスタンに到着している。

 それと同様の移動形態をアーリア人の集団には想定できる。

 紀元前1600年頃イランのアリアナ地方に定着し、

 一部がパンジャブ地方にみえるようになり、

 紀元前1500年頃に進出が盛んになり、

 紀元前1000年頃からガンジス河流域に移動したという事実は

 たいへん遅いスピードで、

 時間をたくさん要している。

 《Key Word》

 騎馬民族

 バローチ人

 バローチスタン

 パンジャブ地方

 ガンジス河流域

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

0 件のコメント: