2013年12月21日土曜日

アーリア人の侵入(10)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:426頁

 第八章 インド文化と祝祭 

 「アーリア人の侵入」(10)

  さて、アーリア人とは「文化的呼称」であることが解ってきたが、

 それではその所属する種族名が何かを考えなければならない。

 ゲルマン人を検討した際、

 彼等の祖族がアラーン(阿蘭・奄蔡)人であることが確認されているが、

 この問題にもう一度踏み込んでみたい。

  アーリア人がガンジス河流域へ侵入して来た当時

 強勢であったのはコーサラ国とカーンー国であったとの見解があり、

 両国が主体的勢力集団であったと考えられる。

 Kosala の表記 には Kausala があり、

 Kāsī 国に近似するので近い関係だったとみられる。

 西イランの地方名 Kāshān と両国名は関係がありそうである。

  カーシャーンはギリシャ語の

 καθαρμα 「浄められた場所、浄め」と同義と考えられる。

 Καθαρω(καθαρώ) は「清める、清潔にする、洗いさる」

 であるが、宗教的意味で「清める、浄祓する」となる。

 この語はドイツ語・英語にも入り Kosher となり、

 「掟に従った料理、清浄な食事」の意味で使われる。

 《Key Word》

 ゲルマン人

 アラーン人
 阿蘭・奄蔡

 コーサラ国

 カーシー国

 カーシャーン

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿、牛頭、空白の布幕、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

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