『Yahoo!天気・災害』
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:226頁
第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(8)イベリア半島-8
バビロンの新年祭に吟唱が行われたが、
マルドゥク神が牡牛を伏せて矛を立てたシーンに群集が上げる叫び、
中国の雲南省の少数民族の村で殺牛祭の祭司が牛を刺殺した瞬間
「オー」と参集者達が一斉に叫びを上げ、
さらに日本の神社で神官が祈願の祝詞(ノリト)を上げる前に大きな声で
「オー」と発声するが、これも「神を誉め祭る」と申し上げているのである。
闘牛のショウは本来の祝祭を離れてはいるものの、
年間の定められた日の祭事として開催されている古来からの
牛飼達の伝統行事なのである。
スペインでは、
サン・フェルミンの牛追祭など牛に係わる行事が盛んである。
学者の中にも牛をトーテムとした原住民がおり、
牡牛への信仰が闘牛の始まりとなったと主張する学者もあったが、
牛の崇拝者はクロマョン人のような石器時代の原住民ではなく、
イベリア人(正確にはケルト・イベリ人)自身が
北メソポタミアの信仰を持ち込んだものと考えられるのである。
紀元前二千五百年頃までには
青銅器文化と牡牛崇拝の商業的金属工達が
半島の地中海側南方から上陸して来た。
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Ir aq).
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《Key Word》
サン・フェルミン祭
トーテム
クロマョン人
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