ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年9月13日金曜日
カルト(スバル)人の地中海進出(4)ミノス-2
『Yahoo!天気・災害』
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:205頁
第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)ミノス-2
クレタ島の商人たちはエーゲ海地域において、
ミケーネ文化の勢力が拡張する以前、
活発な活動を展開していたと考えられる。
線文字Bの粘土板がペロポンネソス半島のメッセニアの町ピュロスで
出土していることはもとより、古いポセイドン神殿は各地にあった。
その代表がアテネから南東の岬スニオンにある
「ポセイドン神殿」で長きに渡り篤い信仰を集めていた。
トルコのアナトリアのエーゲ海沿岸にもその勢力の痕跡がみられる。
ミュシアにクレタ島と同じイディの名を持つ山があることはその代表である。
ストラボン『地誌』にはトロイ(トロイゼン)ではポセイドンが祭られており、
ポセイドニア(ポセイドンの町)と呼ばれていたという。
また、彼等のネットワークはカナン地方にも何らかの形で
張り巡らされていただろう。
あの牛頭のリュトン(角杯)がみつかるからである。
「海の民」よりかなり古い時期で、
多分ケルト人の交易網に組み入れられ、
地中海に飛躍してたのであろう。
勿論ギリシャ人が成立する以前のことである。
パイアーキア島(クレタ島)の王アルキノオスはいう。
「パイアーキア人たちにとっては矢や鞏は役立たず、
檣や櫂や釣合いのよくとれた船に力を注ぎます。
彼等は点々と白い波が波立っている海を航海するのが好きなのです。」
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Ir aq).
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《Key Word》
エーゲ海」
ミケーネ文化
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