2013年9月17日火曜日

カルト(スバル)人の地中海進出(6)ラチウム(ローマ)-8


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:214頁

 第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(6)ラチウム(ローマ)-8

  後からやって来てローマの祖となったと神話上で語られる

 トロイの王アイネイアース、アスカニウス親子一族も

 クレタ島からトロイへ進出した

 地中海系人種(ケルト人)の一族であったかもしれない。

 神話によると、………………………………

 ラチーヌス王の父はファウヌスといい牧羊神である。
 
 アスカニウスの系譜から狼に育てられたという伝説を持つ

 ロームルスが生まれ、ローマの祖になったという。

 牧羊神ファウヌスはパーンとも呼ばれ、

 森の神で人間、家畜、農産物の多産・豊饒を司る。

 その姿は上半身が人間、しかし下半身には山羊の脚を持つ。

 人間と山羊を合体させた観念はクレタ島で人間と牡牛を合わせて

 ミーノータウロスを想像した発想と同じで、ラチウムの信仰が牡牛ではなく

 山羊であることを確証する伝説である。

  ラテン語で角を表す用語は cornu であるが、

 ローマ共和国時代紀元前二〇二年にザマの戦いで

 カルタゴのハンニバルを破ったスキピオを生んだ名族

 Cornellius 一族は「角崇拝」と関係があったのであろう。

 同族からはスキピオのほかスラ、グラッチィなど

 多くの有名な人々が輩出した。

  以上のようにみてくると、エジプトの史料に

 紀元前十五世紀以前、地中海東岸の南方地域を

 フル Hwrw ばかりでなく、レテヌ Rtnw とも呼び、

 Raphia という町があったことが知られているが、

 このフル(フルリ)人が住む地域をレテヌといったと解釈すれば、

 フルリはケルト人の呼称であるので、

 このレテヌの人々がラチウムへ移住し

 ラテン人 Latin となったとも考えられる。

 ラティアは luper と同類の用語であろう。

 また、 Rtnw は Rhethymna 、Raphia は lappa と

 クレタ島の地名にも対応する。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿


 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 《Key Word》

 アイネイアース

 アスカニウス

 ファウヌス

 ロームルス

 ザマの戦い

 カルタゴ

 ハンニバル

 スキピオ

 スキピオ家

 ラテン人

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