創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:191頁
第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(3)カナアン(カナン)-3
チルス市の勢力が建設したのが、
アフリカ北岸の植民地都市カルタゴであるが、
現在そこはチュニジアで、その首都名をチュニス Tunis という。
チュニスはチルス市名に由来する。
このあたりは紀元後四世紀に「ゲルマン民族の大移動」に乗って
イベリア半島からモロッコに渡った
ヴァンダル民族が本拠を置いた地方である。
ローマ時代、ヴァンダル時代を経て Tunis と呼ばれるようになったわけで、
Tyrus の原語が錫を意味していたことを示唆している。
また ベリトス Berytos の地名はギリシャ神話において、
チルス市から出てカルタゴの女王となった
ディードー Dido の父であるベロース Belos と関連する。
ベロースはバール神の転訛名である。
同市は新アッシリア時代になるとハルデとも呼ばれるようになった。
これはカルト khard を市名にしたものとみられる。
ARPACHIYAH 1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
まんどぅーかネット
シュメル絵文字
シュメル語・日本語
《Key Word》
カルタゴ
チュニジア
チュニス
ゲルマン民族の大移動
民族移動時代
ヴァンダル族
イベリア半島
モロッコ
バール神
※参考:バール神
1969(昭和44)年6月12日読売新聞に、
天竜川中流域の静岡県水窪町で、
紀元前600年頃と推定される、
文字が刻まれた石(水窪石)が発見されたと報じられた。
解読の結果「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と
書かれていることがわかった。
バルーツとは、
フェニキア民族の根拠地・シリア地方の自然神バールの女性形同一神である。
フェニキアという名は民族の守護神・フェニックス(不死鳥)に由来するのだが、
ガシアンは鳥=主神という意味である。
同様の文字は、アケメネス朝ペルシャの円筒印章やパキスタン岩絵、
インド洞窟画、中国岳神図、朝鮮石壁文字、
さらには北米東海岸・ニューハンプシャー州ミステリーヒル碑文からも
発見されていて、当時のフェニキア人の足跡が偲ばれる。
フェニキア人はBC1500年頃、
アルファベットを実用化した事で知られている。
ユダヤ人や有色アジア人種と同じセム族で、自らはカナン人と称していた。
カナンとは、東地中海のシリア・レバノン・イスラエル北部の海岸地帯を指す。
彼らは海の遊牧民と言われる海洋交易民族で、
トルコのビザンチオン(イスタンブール)、ロードス島、キプロス島、シチリア島、
クレタ島、ギリシャのアテネやスパルタ、北アフリカ・カルタゴなど、
地中海全域に根拠地を建設し、スーダンの金やレバノン杉などを交易していた。
外洋航海の技術や知識は、クレタ流と言われる。
BC2000~1700年頃に栄えたクレタ文明のミノア人も、
優れた海洋民族だった。
ギリシャの歴史家・ヘロドトスは、
フェニキア人が紅海を発して南の海を航行し、
3年目にヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)を
回って再びエジプトに帰ってきたと、
アフリカ大陸周航の事実を記している。
またフェニキア人は、当時スペインやフランスに居住していたケルト人と、
鉱山開発や貿易を通じて協力関係にあった。
ケルト人は、ドナウ・ライン・セーヌ・ロワール川などの
河川を利用した交易集団でもあった。
フェニキア船団は、ケルト人やユダヤ人、エジプト人やギリシャ人などが
混在する多民族混成旅団だった。
しかし彼らには共通の信仰があった。
セム語で「主」を意味する牛の神バールである。
クレタのミノッソス、エジプトのイシスも牡牛に象徴される。
ユダヤ王ソロモンの玉座には、黄金の仔牛アモンが刻まれ、
ゾロアスター教のミトラ神の原型もバール神である。
何故牡牛なのかはよくわからないが、
源流は伝説のアトランティス文明にあるとも言われている。
さて、こうした事をふまえた上で、
再びBC600年頃の静岡県水窪町に話を戻そう。
当時は大和朝廷初代・神武天皇が即位したとされる頃で、
出雲・丹後・大和の王朝がゆるやかに連合していた、弥生時代中期である。
水窪という地は、縄文の頃から黒曜石の産地として知られていた。
おそらくフェニキア船団員は、
現在「糸魚川・静岡構造線」として知られている
断層線に沿って、金銀銅鉄などの鉱脈を探していたのだろう。
鉱山師は川筋の鉱物を見てあたりをつけ、鉱脈を探すという。
水窪石は、その為の願かけだったのかもしれない。
水窪から天竜川を源流まで遡ると、信濃国諏訪湖がある。
この周辺は良質な粉鉄こがね(砂鉄)の産地だった。
出雲神話で大国主命の国譲りに反対した
息子の建(たけ)御名(みな)方神(かたのかみ)は、
建(たけ)御雷之(みかず゜ちの)男神(おかみ)との相撲に負けて
諏訪へ逃げるわけだが、当時から出雲国の重要拠点だったのだろう。
鉄が日本史に登場するのは2~3世紀の古墳時代だが、
紀元前1800年頃からトルコのヒッタイトで使用されていたわけだから、
フェニキア人たちが知らないはずはない。
アムートゥという鉄は、
エジプトとの間で金の5倍、銀の40倍の価格で取引されていた。
お宝を探し当てたフェニキア人たちが、諏訪に住みついたと想像してみたくなる。
諏訪大社南方に守屋山という名の山があるが、
創世記22章の
「アブラハムがモリヤ山で息子イサクを生け贄として神に捧げた」という、
ユダヤ的なエピソードを連想させる名前である。
出雲王朝は、BC1046年に牧野の戦いで周に滅ぼされた
殷王朝亡命難民が主要な構成員であり、
日本に弥生時代の稲作文化や銅剣・銅鐸文化を招来したと思われる。
殷はシュメル古拙(こせつ)楔形(せっけい)文字に似た甲骨文字を創始し、
亀甲占いを行う。
なるほど出雲地方には亀甲神紋が多く、亀甲占いは皇室の秘事と聞く。
殷はBC2070年に成立した、
南方系龍蛇(ナーガ)信仰の「夏」を滅ぼし、
BC1600年に成立した国だが、
道教神話では夏以前の神話時代、石の巨人・磐(ばん)古(こ)、
蛇身の女神・女媧(にょか)、牛の角を持つ炎帝神農の元始三皇に始まるとされる。
この炎帝神農こそバール神であり、古韓国語ではスサという。
牛頭ごず天王てんのうの別名を持つ「スサノオ」である。
なぜ殷王朝にオリエント・地中海世界のバール神なのか。
殷族とは本来、アーリア系イン族とされる。
加えてシュメルのウル第3王朝がBC2024年に滅亡した事と、
かなりの関係があるように思われる。
神話では易経と文字の発明は伏羲(ふくき)の役になっているが、
崑崙山を越えて来たシュメル文明の末裔たちが創始したのではないかと。
殷は天地自然の神々を信仰し、王を支える武士団が存在し、
殉死の風習があった。周に殉死はない。
一族の旗印は白。周は赤。
民族の守護神は、フェニキア人同様に鳥(鳳凰)だった。
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