創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:189頁
第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(3)カナアン(カナン)-1
紀元前一八世紀、
ユーフラテス河の流れるシリアとイラクとの国境近くに栄えた都市
マリの王国文庫から発見された楔形文字の粘土板
「マリ文書」にカナン人の名称 Kinahnu が出てくる。
エジプト人は紀元前十五世紀の中頃から
「アジア」の土地フルをカナン knnw と呼ぶようになり、
紀元前一四三〇年頃にミタンニ時代の記録に
カナンの地 māt Kinaning があり、
紀元前一四世紀初めのエジプトの史料
「アマルナ文書」にはアッカド語による呼称を取り入れた
カナン権 pihati kinahi がのっている。
現在のシリアの地名で、その南端でドルシェ Druze 山があり、
山の西に Busra の町がある。
紀元前一世紀のローマ時代に
Basan 地方と呼ばれるた地域内であるが、その意味は農耕である。
ドルシェ山の周辺には Qanawat 、Qanaytra の町がある。
領地名ともカナンの派生語である。
カナンの祖語はグルジア語にある Basan と同義
「耕す」を意味する Xnav と同根とみられる。
東方北メソポタミアからやってきたケルト人たちが、
地中海沿岸の恵まれた気候のもと
麦類などの耕作をしていた農耕民およびその土地を
kanaan と呼ぶようになったのである。
ARPACHIYAH 1976
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq).
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《Key Word》
マリ文書
ミタンニ
アマルナ文書
グルジア語
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