2013年9月5日木曜日

カルト(スバル)人の地中海進出(2)アジア-1


 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:187頁

 第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(2)アジア-1

   Philister / Peleset は、

 現在のアナトリア西南部の古い地名

  Phrygia あるいは pamphylia が祖地であったと考える。

 この地域から「海の民」として離陸し、

 一時エジプトの海岸地帯に停留した後

 現在のパレスチナ地方へ上陸したものであろう。

 フィルギア地域内にある都市 Burdur はかって Askanih とよばれた。

 アシュ湖がその近郊にあるが、

 このアシュを冠した都市名 Ashdodo と Askalon は

 フィリステルの都市名であり、

 彼等の一部が建設したと思われる死海の東北の町

 フィラデルフィア名の町が同地域に内にセルジュクトルコ時代に表れる。

 またカフトリはリキアの南端ギリシャ領の小さな島 kastellohzon に

 その遺称を留めているものと考える。

 同地域は紀元前千五百年頃にアッヒヤワと呼ばれていたらしい。

 この名称はギリシャ人の一派アカイア人との関係も論じられてきたが、

 彼等が現われのは紀元前八・九世紀である。

 アッヒヤワの時代はそれより五百年前のことで、

 ミタンニ国の当時のスバル人の地方名イシュワ Isva と係わりがあるそうだ。

 イシュワ(スバル)の商人たちが古くから到着して

 商業活動を展開していたとみられる。

 アッヒヤワ Ahhiyawa はヒッタイト帝国の首都ハットゥサスの遺跡から

 出土したボアズ・キョイ文書から出始めた国名である。

 その比定地についてはいろいろと論議があり確定していない。

 フィリギアの真中、ブルドール市の北方にある

 アフィヨン Afyon 地方をその比定地と考えたい。

 同地域には、Sahut、sandiki、Eder(湖)と

 メソポタミアと関係する地名が散在する。 

 アフィヨン市はアナトリアの東方から

 エーゲ海の貿易港スミルナへの街道筋にあり、

 南北に走る街道の交差点でもある。

 ローマ時代にプリネッソスと呼ばれた町で、アピシディ地方と呼ばれた。

 シュメル語で階段を意味する galam に由来する

  Karamanli の町がブルドール市の南方にある。

 ギリシャ人たちは「アシア」の呼称を

 最初この西アナトリアの地方に対して使ったが、

 彼等は「商人」の意味で「アシア」を使っていた形跡がある。

 ギリシャ語の用語の中に

 「商業、商人」を表す swa があり、 swene は「商業の町」である。


 ARPACHIYAH 1976

 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Iraq).

 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

  シュメル語・日本語

 《Key Word》

 死海

 セルジューク朝

 アカイア人

 ハットゥサス

 ボアズ・キョイ文書

 アフィヨン

 エーゲ海

 スミルナ

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