2014年1月31日金曜日

三星堆の祭祀(13)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:488頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(13)

 (3)三星堆の遺物と信仰(6)

 四川省の東端に巫山があり、その北西に觀面山があるが、

 その山中に鸛鳴(がんめい)という地籍がある。

 トキが鳴く意味である。

 ここの山名の觀面は三星堆から出土した

 多くの仮面の呼称であったと考える。

 「鳥の状態を見る(觀)」ことによって占いを行った形跡がある。

 遺物の中には

 鳥身人頭の像や青銅製の雄鳥や杖頭にあしらわれた鳥の造形、

 また大きな青銅製鳥頭や河鵜など

 各種鳥類の青銅製造形物が多数見つかっている。

 これらは鳥に対する信仰の表れとも解釈されている。

 そのほかに重要な金製の人面マスクがあり、

 両目と両眉の部分が大きく抜かれており、

 「見る・觀る」行為を強調しているようである。

 また目とみられる青銅製の菱形の中に眼玉を付けたものや

 眼玉だけを取り出したような青銅製菱形球が沢山ある。

 これらは、鳥類の鋭く睥𥆩する様子を神格化したものと考えられる。

 このような遺物から考えると、

 黄金の仮面は「觀面」と称しても不思議ではない。

 四川省に觀閣、觀塘の地名がある。

 《Key Word》

 觀面山
 觀面山

 鸛鳴

 三星堆から出土した多くの仮面
 三星堆出土青銅製菱形球

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年1月30日木曜日

三星堆の祭祀(12)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:487頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(12)

 (3)三星堆の遺物と信仰(5)

 そこで考えられるのが「トキ」である。

 日本ではトキに鴇の字を当てているが、

 中国においては野雁(のがん)を意味する。

 漢字の鴇と鴾がトキを表わす。

 トキは赤が基調になっており、

 顔が無毛の裸で赤色、羽毛は全体的には白色であるが、

 風切羽と尾羽の元根部分に淡紅色(とき色)がある。

 その尾羽は短く隹の部類である。

 嘴は鶴のように長いが下方に円やかに曲がっていて

 水中の魚を採るのに便利になっている。

 朱鳥という表現がある。

 赤色の鳥で雁の異名とされるが、説文に「雁、鵝也」とある。

 がちょうには赤い種はみられず白色である。

 また朱鳥には鳳を表わすことがある。



 トキを日本では「とき、つき、とう」または桃花鳥という。

 奈良県橿原市鳥屋町辺りはかって築(つき)、

 また桃花鳥と表記されたトキ名の遺称地である。

 漢字の鵃(かん)も丹色の鳥で赤い鳥であるが、

 人面に喙がある鳥とされトキと考えられる。

 魚鳧王の鳧も崩せば「鳥(ちょう)-几(き)」でトキに近似する。

 トキは後頭に冠毛(毛角)がある点において雚であり、鸜に妥当する。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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 神社のルーツ
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2014年1月29日水曜日

三星堆の祭祀(11)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:486頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(11)

 (3)三星堆の遺物と信仰(4)

 説文に「鳥之短尾総名也」とある。

 瞿は「みる」の意味で、説文には「左右視するなり」とあり、

 目を見張って見渡す意味という。

 さらに「鳥の状態によって判断する鳥占い」の習俗をいうものであるという。

 この字義と同じ漢字に觀(観)がある。

 これは「鳥占いによって神意を伺う」ことで、

 具体的には鳥占いによって豊凶を占う農耕儀礼に由来する。

 この漢字の「雚」は「雚の草冠なしの文字」と同義で

 「大きな目をした鳥」で、しかも毛角(草冠)をつけている。

 同じく雚を持つ漢字に鸛がある。

 日本ではこれをこうのとりとしているが、

 こうのとりには毛角(羽の頭に立っているもの)がないので

 当て字に過ぎない。

 萑は毛角のある鳥でみみづくである。

 四川省のすぐ北隣り陜西省の西安市から渭水を
 
 西方へ遡及したところに宝觀市がある。 

 日本では宝鶏市としているが、これは間違いである。

 鸛はその市名が示すように、

 宝冠のようなものを付けた貴い風格を供えた鳥である。

 アヒルには毛角はない。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年1月28日火曜日

三星堆の祭祀(10)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:485頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(10)

 (3)三星堆の遺物と信仰(3)

  第三代魚鳧(ぎょふ)については

 『華陽国志』が挿話を載せているように

 仙人になって忽然と消えてしまったという。

 そのため蜀の人々は彼を慕って祠を建てたという。

 彼の名称の鳧(ふ)はアヒルを意味する。

 三星堆遺跡の北を鴨子(こうし)江が流れ、

 アヒルは家鴨で関係がありそうだ。

 魚鳧は中国においてはこれまで

 「魚とアヒル」と理解されてきたが、

 「魚の鳥、魚を取る鳥」と解釈することができる。

 四川など長江流域で今でも行われている

 鵜飼の鵜が第一に想起されるが、

 そればかりではない。

 魚鳧が都したところが瞿上(がいじょう)といわれる。

 この漢字の構成要素「隹」は尾の短い鳥の総称である。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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2014年1月27日月曜日

三星堆の祭祀(9)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:484頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(9)

 (3)三星堆の遺物と信仰(2)

 そこで人々は祠をあちこちに建て恩に報いた。

 そして彼は蜀王になったという。

 後世養叢は青衣神あるいは青神と呼ばれた。

 それは青い衣を着て山野を歩き回っていたとの伝承によるが、

 青衣は蚕の青い色から名乗られたものである。

 現在の成都市の南方蛾眉山に行く途中青神という町がある。

 蛾眉山の北方を西北から流れるくる川に青衣江がある。

  三星堆の遺物の中に縦目仮面(二枚)という類似した仮面群がる。

 これらの仮面は直立目(縦眼)と鼻、

 薄いが横に切れ上がった口、

 そして先の尖った牛のような大きな耳を持っている。

 後者にはその上鼻の上、

 両目の間から先の巻いた仮面の二倍の高さの直立物が

 付けられている。

 これらが象徴しているものが何かであるが、

 これは蚕の成虫、蛾の頭部を人間の顔に模造したものである。
 
 依って蚕叢の象徴と考えることができる。


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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2014年1月26日日曜日

三星堆の祭祀(8)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:483頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(8)

 (3)三星堆の遺物と信仰(1)

  三星堆の遺跡に祭儀遺物を残した人々は、

 どんな人々であったのだのだろうか。

 徐朝龍の「長江文明の謎」などを参考に考えてみたい。

 四川省成都辺りは古代において蜀と呼ばれた。

 紀元前1000年頃の蜀についての史料は少ない。

 漢代の「蜀王本紀」と東晋時代の大書「華陽国志」に頼らざるを得ない。

  前著には

 「蜀王の先祖は、蠶叢、柏灌、魚鳧、蒲澤、開明と名ぶ」とある。

 後書には

 「蜀の先祖で王を称するは蠶叢(さんそう)があり、

  次王は柏灌といい、次王は魚鳧という。

  魚鳧王は干湔山に都した。

  そして仙道を得た。

  蜀人はこれを思い、祠を立てた」とある。

 開闢の先祖は蚕叢であるという。

 伝承によると彼が養蚕を広めたという。

 金属を何千匹と育て年々の初め家々に配った。

 金属を配られた家は養蚕が発展した豊かになった。

 《Key Word》

 蜀王本紀
 蜀王本紀・画像

 華陽国志
 華陽国志・画像

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2014年1月25日土曜日

三星堆の祭祀(7)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:482頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(7)

 (2)中国の祝祭(3)

  三星堆からは多くの容器が見つかっているが、

 青銅龍虎尊容器のような壺類も多くあった。

 これらは祭儀用の酒を入れたものと考えられる。

 犠牲獣を盛る容器や酒器は総称して彝器(いき)と言われるが、

 その構成要素、

 「彝」の上半分は鶏を意味し、

 下半分「廾」は羽交い締めにすることであるという。

 つまりは羽交い締めにして鶏血を絞り出すものである。

 彝器とは鶏の血で清められたもののみをいう。

 旧約聖書レビ記において小鳥の血で浄める節句を紹介したが、

 中国でも同じ行為をしたのである。 

  祭儀に使われる酒は欝鬯酒という。

 欝金香草を煮て、

 これを黒黍(くろきび)で醸した酒を和ませて造った酒である。

 丁度インドのソーマ酒に相当する。

 欝鬯酒は祭において神に献げられ、その後に地に注ぎ神の降臨を願う。

 この儀礼を「祼(かん)」といい、

 儀礼の後に祭に会した賓客たちが酒を酌み交わすことができる。

 彝器は祼のための酒器を特定していう場合もある。

  祝祭はこれで終わりではない。

 「痤(えい)」という儀礼が行われる。

 これは本来「うづめる」「かくしうづめる」意味であるが、

 儀礼的には「地を祭ること」で「犠や玉を埋めること」である。

 つまり燔柴(はんし)し終わった犠牲獣の骨灰や玉器を

 地中に埋めることである。

 また「儀礼・覲礼」に

 「地痤(ちえい)を祭るは月を祭るなり」とあり、

 地を祭る痤は月を祭ることでもある。

 三星堆において

 祭器が骨灰とともに地中に埋もれていた理由は

 この痤の儀礼に依るものと考えられる。

 天地を祭る儀礼が行われていたのである。

 《Key Word》

 中国の青銅器
 彝器(いき)

 旧約聖書レビ記

 欝鬯酒
 欝鬯酒
 欝鬯酒
 黒黍
 ソーマ酒

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年1月24日金曜日

三星堆の祭祀(6)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:481頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(6)

 (2)中国の祝祭(2)

 杭から出土したほとんどの玉器が灰色あるいは黒色に変色していたのは

 この事情によるものものだろう。

 絹布品は焼かれれば跡形もなくなる。

 犠體とは犠牲獣のことで、牛、豚、羊が使われたようだが、

 中国古代における屠殺行為は「灌」で、

 「犠牲用の動物を棍棒で殴り殺し、さらに叩き潰す」という。

 シュメル語の屠殺するの意味である śum にも「打つ」意味があった。

 その意義から鍛冶屋 Śmith (英語)が出来たことは既に述べた。

 中国では「打つ」行為を直截的に行ったのである。

 現在の雲南省の少数民族の「牛祝祭」においても、

 牛の首を高く上げさせておいて斧で咽に一撃を打ち込み屠殺すると言う。

 打ち殺された「灌」犠牲獣は解体され俎板上に並べられる「肆(し)」。

 俎(そ)は「まないた」と通称されているが、

 本来は犠牲獣を載せる容器の事である。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年1月23日木曜日

三星堆の祭祀(5)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:480頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(5)

 (2)中国の祝祭(1)

  1986年に発見された二つの杭(穴)について、

 専門家たちはこれが祭祀杭であると判断した。

 多くの遺物が骨灰に埋もれていたのである。

 つまり祝祭(犠牲祭)に焼かれた残灰と判断したのである。

 青銅器の中には殷式青銅龍虎尊容器など

 黄河地方の青銅器も見られる。

 多くの遺物が三星堆文化ともいうべき独特なものではあるが、
 
 全く黄河文明と隔離した状態ではなく、

 交流があったことを示している。

 漢語の中に「犠牲を焼く」用語を探すと、「燔祭」がある。

 燔(はん)「炙った肉」「祭肉の炙熟したもの」を表わす。

 炙(せき)は「火の上に肉月をかざす、あぶる」である。

 つまり月とは肉を表わすのである。

 この燔は宗教的には、「天を祭ること」であり、

 その形式は

 「柴の上に玉帛犠體を加えてこれを焼くこと」である。

 つまり柴の上に玉器、絹布及び犠牲獣の肉を置いて焼くというのである。

 帛とは単なる絹布ではなく、

 何らかの儀礼的内容を込めた製品で繒(そう)という。

 帛に丹(朱色)をもって神を祀る語句を書いた。

 後に説明する夏の始祖禹の後裔氏族として、

 史記「夏本紀」は繒(そう)氏の名を載せている。

 この行為を燔柴という。

 「爾雅」に「天を祭ることを燔柴という」とある。

 《Key Word》

 史記「夏本紀」
 夏の始祖禹

 青銅龍虎尊容器

 祭祀杭

 三星堆文化

 燔祭
 玉帛犠體
 繒(そう)
 燔柴
 爾雅

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 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年1月22日水曜日

三星堆の祭祀(4)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:479頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(4)

 (1)祭祀杭の遺物と宝貝(4)

  紀元前1000年頃

 この交易路をどのような文化が南北に伝わったか不明である。

 紀元前2世紀の漢の時代になると

 張騫(ちょうけん)がバクトリアに至り、

 そこで四川省の物産である「蜀の布と邛(きょう)の竹杖」を見つける。

 その入荷の経緯を訪ねたところ

 「東南の身毒国(インド)からのものであり、

  そこの蜀の商人の市で手に入れた」

 との返答があったと帰国後に報告する。



 この報告が漢の武帝をして西南路を漢のものにしようとする

 願望を起こさせるきっかけとなったのである。

 この伝承にみられる事実は紀元前2世紀に

 蜀の商人がインドへ商売のため渡来していたということである。

 そして蜀の商人とは漢人でない事情を

 漢書西南夷伝は語っているのである。

 それは三星堆遺蹟の時代から1000年近くも後のことである。

 《Key Word》

 張騫
 張騫・画像

 蜀の布と邛の竹杖

 漢書西南夷伝
 漢書西南夷伝・画像

 三星堆遺蹟の時代

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 ハラフ期の土器について
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 ハブール川
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2014年1月21日火曜日

三星堆の祭祀(3)


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 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

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 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(3)

 (1)祭祀杭の遺物と宝貝(3)

 これは、最早その時期に南アジアと四川盆地の間に

 交易路が開かれていたことを示す。

 その交易路は四川盆地から南へ伸び

 西昌から雲南の楚雄、大理へ通じ、

 そこから西方ミャンマー内のミチナー(密支那) 、

 バモーをラングーン方面へ抜けるもの、

 またミチナー地域から西方へ伸びて

 インドへも通じていたと考えられる。

 宝貝は中国において貨幣の役目を果たした。

 マルコポーロが雲南を訪ねた元の時代にさえ

 貝はその役割を果たしていた。

 漢字の中に貨、財、賣、買、貴など貝を含むものが多い。

 漢の時代になって雲南省の中心に「滇(テン)」という国ができたが、

 そこで発見される多くの銅器とは貯貝器であり、

 中国の西南地方には長い間貝が貴重であったことが解る。

 この南アジアとの交易路は宝貝だけをもたらしたのではない。

 まず考えられるのは品質のよい「玉」である。

 玉はミャンマー北部から雲南省にかけて上質のものを産する。

 《Key Word》

 祭祀杭の遺物と宝貝
 祭祀杭の遺物と宝貝・画像

 宝貝

 滇(テン)
 滇(テン)・画像

 貯貝器
 貯貝器・画像

 雲南省
 楚雄、大理
 楚雄、大理・画像

 ARPACHIYAH 1976
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 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年1月20日月曜日

三星堆の祭祀(2)


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 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:477頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(2)

 (1)祭祀杭の遺物と宝貝(2) 

  遺物の中の宝貝に(子安貝)は

 外洋のもので四川の山地にはないものであった。

 専門家の調査はそれらがミャンマーのベンガル湾、

 アンダマン海方面からもたらせたもので、

 その時期は紀元前1200年頃と判断された。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ