2014年1月22日水曜日

三星堆の祭祀(4)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:479頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 三星堆の祭祀(4)

 (1)祭祀杭の遺物と宝貝(4)

  紀元前1000年頃

 この交易路をどのような文化が南北に伝わったか不明である。

 紀元前2世紀の漢の時代になると

 張騫(ちょうけん)がバクトリアに至り、

 そこで四川省の物産である「蜀の布と邛(きょう)の竹杖」を見つける。

 その入荷の経緯を訪ねたところ

 「東南の身毒国(インド)からのものであり、

  そこの蜀の商人の市で手に入れた」

 との返答があったと帰国後に報告する。



 この報告が漢の武帝をして西南路を漢のものにしようとする

 願望を起こさせるきっかけとなったのである。

 この伝承にみられる事実は紀元前2世紀に

 蜀の商人がインドへ商売のため渡来していたということである。

 そして蜀の商人とは漢人でない事情を

 漢書西南夷伝は語っているのである。

 それは三星堆遺蹟の時代から1000年近くも後のことである。

 《Key Word》

 張騫
 張騫・画像

 蜀の布と邛の竹杖

 漢書西南夷伝
 漢書西南夷伝・画像

 三星堆遺蹟の時代

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

 

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