2014年5月31日土曜日

八溝山:薬師信仰の山(5)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:639頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(5) 

 その他十殿神社と薬医神社も挙げておく。

  ①東白河郡塙町山形字小屋曽根(※十殿神社)

  ②東白河郡塙町那倉字岩下(※十殿神社)

  ③東白河郡塙町片貝字後沢

  ④いわき市平谷川字吉野村作

  都々古別神社については延喜式神名帳白河郡に

 「都都古和気神社名神大」と載り、

 その重要であったことが解かる。

 同社は陸奥一の宮と称された。

 その比定社について現在の棚倉町八槻大宮の都々古別神社か

 ②棚倉町字馬場の同名社かで

 論議があってどちらか決しかねているという。

 しかし、どちらか一方に決める必要はない。

 本来近津神は cikitsa の神、アシュヴィン双神と

 いわれるように双子で、二神一体の神である。

 二つの神社で一宮と考えることができるのである。

 そのような例は祭神が誰かの問題はさておき、

 諏訪神社を典型とする。

 上社下社があり、

 上社には前宮と本宮、

 下社には春宮と秋宮と不二一如の形態にある。

 祭神建御名方神より古層の信仰である社宮司社として

 北方御社宮司社と南方御社宮司社とあるばかでなく、

 御名方神の史料での初出は

 「南方」神であり「北方」神が想定されての

 神名とさえも考えられるのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年5月30日金曜日

八溝山:薬師信仰の山(4)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:638頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(4) 

 『福島県の近津神社』

  ①東白河郡棚倉町山田字芳ノ木

  ②東白河郡矢祭町高野

  ③東白河郡矢祭町関岡字飯野

  ④東白河郡塙町山形字森の上

  ⑤西白河郡東村上野出島字坂上

  ⑥西白河郡矢吹町松倉字諏訪清水

  ⑦郡山市安積町荒井字安部

  ⑧喜多方市慶徳町松舞家字走下り(智賀田神社)

  また東白河郡棚倉町八槻字大宮の都々古別神社も

 近津明神を祀る神社で、

 後に説明するように薬医神の神社であるので

 近津神と同じとして以下に

 現在の都々古別名系列の神社を連記する。

 『福島県の都々古別神社』

  ①東白河郡棚倉町八槻字大宮

  ②東白河郡棚倉町字馬場

  ③東白河郡矢祭町金沢字沢岸(※若都々古別神社)

  ④西白河郡表郷村三森字都々古山

  ⑤西白河郡表郷村梁森字石崎(※都々古山神社)

  ⑥西白河郡表郷村高木字向上(※都々古和気神社)

  ⑦石川郡石川町下泉(※石都々古別神社)

  ⑧石川郡玉川村南須釜八又

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年5月29日木曜日

八溝山:薬師信仰の山(3)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:637頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(3) 

 八溝嶺神社の祭神は現在大己貴の命、事代主命となっている。

 この地方の多くの神社が日本武尊の行状に結びつけて

 その由来を明らかにしようとしているが、

 突き詰めれば、それらの物語は伝説に近く、

 史実とみられるものは少ない。

 その主旨は神社の信仰の本質が何であったかさえ

 解からなくされているということである。

 以下の解説は日本武尊によって塗装され隠された深層を開示し、

 その存在理由を明らかにするものである。

 八溝嶺神社の信仰圏は史料によると、

 白河郡の北郷86村、南郷58村、久慈郡42村、那須郡260村に

 及んでいたという。

  久慈郡大子町の八溝山から流れ出す

 八溝川の流域の上流から上野宮、中野宮、下野宮に

 それぞれ近津神社が鎮座しており、

 八溝山が近津神社と深い係わりがあることを示す。

 また福島県の白河郡には

 同山の脇を固めるように多くの近津神社が鎮座する。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

八溝山:薬師信仰の山(2)

 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:636頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(2) 

  更に湯殿、重殿、十殿、薬師、薬王なども

 その範疇に入る神社名である。

 薬師名は東北地方へ入るとその主流となり、

 久須斯、久須志、久須師、薬医、医薬、薬王などと称された。

 東北地方への医薬神信仰の基点となった聖地の山が

 栃木県、福島県、茨城県の県境をなす八溝(やみぞ)山である。

  八溝山は、古代の郡名でいうと下野国那須郡が

 その西方に、陸奥国白河郡がその北方に、

 常陸国久慈郡がその南東を占めていた。

 同山頂は古くは白河郡に属し、

 一時常陸国になったが、また白河郡に復した。

 そのため山頂に鎮座する

 八溝嶺神社は延喜式神名帳において

 陸奥国白河郡七座のうちに記載されている。

 現在山頂社奥宮で、前宮となる同名社が

 茨城県久慈郡大子(だいご)町上野官に鎮座している。

 同社の伝承によると、

 景行天皇の時代日本武尊が東北遠征に向った時

 平定祈願したことに始まるとするが、

 白河郡棚倉町の都々古別神社の伝承によると、

 八溝山の賊を征圧するために祈願したとあり、

 八溝山にいた集団は非協力的であり、

 祈願を行う霊山として適当であったとは思われない。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年5月28日水曜日

八溝山:薬師信仰の山(1)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:635頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(1)

  「横山:医方明の山」で取上げた

 筑摩山地の横山である東山は医薬神の重要な聖地であった。

 この東山の麓を伊那谷から善知烏(うとう)峠を越えて

 松本方面へ伸びていたのが古代の幹線街道東山道であった。

 この名称は単に東国の山岳地帯を通る道との印象が強いが、
 
 東海道よりもかなり早く成立した道であり、

 「東山」に因んでいわれた名称と考えられるなくもない。

 東山道は松本の岡田を通って後、

 東信の上田、小諸そして碓氷峠を越えて

 松井田町の横川から高崎へと群馬県を、

 更に栃木県を北上して

 那須から福島県の白河郡へと続いていた。

 この街道沿い及び北関東一円に医薬に係わる信仰が

 広く行われた証しとしての医方明 cikitsa である

 近津を祖語とする神社が散在している。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年5月26日月曜日

大江戸:塩土老翁の鎮座地(25)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:634頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(25)

 両神とも後からやってきた祭神で

 先住の祭神は塩土老翁神と考えられる。

 三神の関係は極めて興味深い。

 後の「インドラ神の影」などを参考にして戴きたい。

 塩竈神社は延喜式神名帳には記載されていない神社であるが、

 陸奥鎮護の第一の社とされる。

 鎮座する一森山はすぐ南の多賀城市丸山と同じく

 meru(sumeru) 、つまり、

 インドラ神の住む山名に係わると考えられる。

 近郊の利府町の加瀬、多賀城市の笠神は

 鹿児島県金峰町の花瀬、加世田市名と同様に

 「光輝」を意味する kāsa に依る。

 多賀城市の桜木、栄、境山なども śakra に係わるだろう。

 そして何より「塩竈(塩釜)」名は

 インドラ神が住む天界 svarga あるいは svarga-loka

 に由来するのではないかと推測れるのである。

 紀元前3000年紀に西アジアに誕れたインドラ神は、

 極東の日本の東北の一隅にまで「東方の守護神」として

 やって来て鎮座しているのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

大江戸:塩土老翁の鎮座地(24)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:633頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(24)

 江戸川の東京湾への河口の河口の東は現在船橋市であるが、

 そこに船橋大神宮が鎮座する。

 同社は延喜式神名帳の「下総國葛飾郡」の載る

 「意富比神社」である。

 この「意富比」については本義が明らかにされていない。

 神名帳は「イフヒ」と訓音をつけているが、

 後の「埼玉・鹿島:剣持神の國」の

 稲荷山古墳の鉄剣でも追求するが、

 「意富」は「オホ」で「飫富、太、大」と同音の用語である。

 よって「意富比」は「太日」と表記でき、

 これは太日河の「ふとゐ」である。

 ここで何故「フトイ」と解釈できるかは

 同神宮の鎮座地宮本の地区内に

 「峰台」の小字名があることによる。

 宮本は鎌倉期からみえる地名であるが、

 その地の古名が峰台であったと推測される。

 同社を西方からみると確かに小高い峰の上にある。

 峰台は「フタイ」と読め、「ふとゐ」と殆んど同音である。

 初めに「ふとゐ」があり、

 峰台が当て字(あてじ)とされたものであろう。

 神社名も本来は「ふとゐ」であったと考えられ、

  インドラ神信仰から同神が祀られていた可能性が高い。

 塩土老翁神は

 さらに東北の宮城県塩釜市一森山にも奉祭されている。

 塩釜神社と一般に書かれているが、

 塩竈神社が正式名で、その別宮に鎮座している。

 同社の本殿には武鹿槌神、経津主神が祀られている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年5月25日日曜日

大江戸:塩土老翁の鎮座地(23)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:632頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(23)

 このような状況から4世紀の太初において

 インドラ神に係わる信仰が行われたと推察されるのである。

 太日河名はインドラ神信仰に依りつけられたものと考える。

 同神は仏教において帝釈天といわれるが、

 葛飾区の柴又帝釈天はこの流域に

 インドラ信仰が実在することを示している。

 徳川家康が関東へ移封されて来てから

 江戸の経済は拡大を続け、

 近郊から多くの物資が運び込まれるようになり、

 太日河は江戸への運河の役目を果たすようになったため、

 その名を江戸川と改称されたという。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
]



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

大江戸:塩土老翁の鎮座地(22)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:631頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(22)

  江戸川は、古くは太田河と表記され「ふとゐ」と呼ばれた。

 平安時代承知2年(835年)の

 「類聚三代格」に「下総國太田河」とあるのが初出で、

 「更科日記」に「下総國と武蔵國のさかひにてふとゐかは」とみえる。

 太日(ふとゐ)は贍浮提洲の「浮提」の転訛で

 伊勢の浦田、インドラ神の天界を表わす。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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 鳥居のルーツ 

大江戸:塩土老翁の鎮座地(21)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:630頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(21)

  東京都には江戸川区がある。

 その名は茨城県の境町で分流する江戸川に依る。

 この川名は史料では江戸の物資輸送の水路であることから

 銘づけられたとするが、

 その基層にはこの流域に

 インドラ神が祀られていたことによるのである。

 インドラ神の鎮座地として

 ここで紹介するのは千葉県野田市桜台の桜木神社である。

 同社はかって稲荷神社で平安時代の創立時に

 社地に桜の大木があったことにより、

 「桜の宮」と称されたという社伝を持つ。

 しかし、この野田最古の神社のある桜台遺跡からは

 硬玉製勾玉管玉、台形様石製品、剣先様装飾品、半円状石製品、

 玉杖などの祭祀に冠する遺物が発掘されており、

 4世紀から何らかの信仰の地であったことが明らかになっている。

 地名を考察すると、

 「桜台」は śakra-deva で桜田と祖語がおなじである。

 市名「野田」は nātha の音写で

 「保護者、支配者、主」でインドラ神を指す。

 さらに同社近郊にある「中野台」は贍浮提である。

 両地名とも桜台に近接しており関係が知られる。

 同市の東南の隅瀬戸地区に猿田彦神社が鎮座しており、

 「瀬戸」は勢田、瀬田と同儀 sata で「百」を意味する

 インドラ神の尊称に係わる。

 桜木神社の現在の祭神には

 猿田彦神も塩土老翁神も含まれていないが、

 稲荷神社の本宮である

 京都府の伏見稲荷大社には

 猿田彦神及び天鈿女命である大宮能女神が祀られており、

 稲荷信仰と全く関係がないわけではない。

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部




 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年5月24日土曜日

大江戸:塩土老翁の鎮座地(20)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:629頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(20)

  「赤坂」と「空虚」の組合せは、

 奈良県天理市和爾町に赤坂彦神社があり、

 その東奈良市内に仏教化された

 名称「虚空蔵町」がある例がある。

 同社は神名帳大和国添上郡に載る

 「和尓赤坂比古神社大」である。

 また、熊本県荒尾市大島の四ッ山神社は

 「虚空蔵さん」と呼ばれ親しまれているが、

 「四ッ」が cutartha である「虚空」であることが解かる。

 栃木県の矢板市から大田原市を流れる川は箒(ほうき)川という。

 本書の「はじめに」において取り上げた

 「信濃風土記」逸文の「箒木」に係わる川名で

 「ほうき」が「空しいこと」の代名詞であることを述べたが、

 箒川名もまた「空、虚空」川である。

 矢板市の上伊佐野の川辺近くに「赤坂」地名があるばかりでなく、

 その上流塩原町へ遡ると赤川となり、

 その水源の沢を空沢という。

 箒川は大田原から那須郡の湯津上村、小川町、馬頭町の境界で

 那珂川に合流する。

 那珂川は黒磯町の那須高原から流れ出る水流を全て集めて来る。

 双方とも「四位」に由来し空虚の意味であり、

 「那珂」はまたサンスクリット語の 

 nāka の音写で「天空、大空」を意味し、

 箒の内容に一致するものである。

 同川は茨城県に入り那珂郡を形成し、

 ひたちなか市と大洗町の境界をなして太平洋に流れ入る。
 
 河口の北岸ひたちなか市には赤坂の地名が残る。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部




 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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大江戸:塩土老翁の鎮座地(19)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:628頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 大江戸:塩土老翁の鎮座地(19)

  東京の中心江戸城の周辺の歴史の深層に

 サンスクリット語文化があることを述べておきたい。

 永田町の西方に赤坂及び元赤坂がある。

 この「アカサカ」は ākāsa に由来する地名で、

 「虚空」をいい形而上学的には「空(くう)」を表わす」。

 空(くう)は第八章でインドの六派哲学のうち

 ヴェーダンタ派の思想で述べた caturtha 、

 つまり自我(アートマン)の第四位に対応する。

 この第四位の用語を用いて

 赤坂である「空虚」を表わしたのが四谷で「空谷」

 つまり、「涸谷」を意味する。

 四谷駅の辺りから赤坂方面にかけては谷合で、

 水のない「からの谷間」である。

 空虚の状態を日本語で「うつけ」というが、

 四谷に続く市谷(いちがや)は

 この「うつけ谷」が訛ったものである。

 麹町名は大田区の糀谷と同じく糀町とも表記された。

 インドラ神の別称 kauśika 

 あるいはインドラ神の雷電 koţi に由来すると考える。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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