2014年5月6日火曜日

横山:医方明の山(2)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:605頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 横山:医方明の山(2)

  筑摩山地には、現在の塩尻市片丘北熊井の山間に

 蓬平(よもぎたいら)という地名がかってあり、

 そこに堂宇が建てられていたことが伝えられている。

 この辺りの山地は一般に東山と言い慣わされている。

  東山の南端、塩尻峠の近くに旧塩尻(東山)地区があり、

 そこに東名神社がある。

 東名は暁光、曙のことと解釈されるが、

 延喜式神名帳信濃国筑摩郡に載る「阿礼神社」と関係する。

 同社名の神社は現在塩尻市塩尻町大宮に前宮、

 その東方へ2Kmの柿沢明神平に奥宮(社)がある。

 阿礼はサンスクリット語の aruna (赤色、曙、太陽) 

 あるいは arusi (同)に依拠する。

 筑摩山地が東山と称される由緒である。

 同社の伝承によると奥社は五百砥(いおと)山にあった言うが、

 その本名は医王堂山であったらしい。

 「式内社調査報告」では五百砥山にあった奥社の

 旧蹟地について

 「阿礼神社前社より東方凡三十町、同奥社より東方凡二十町、

 鉢伏山支脈塩尻峠の北方にあり」とされる。

 東明神社の地に当たる。

 しかし、そこに医王堂があったわけではない。

 医王堂は蓬平にあったと考えられる。

 《Key Word》

 阿礼神社

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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