2014年2月28日金曜日

漢書の海洋交易網(1)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:527頁

 第十章 天毒とセリカ

 漢書の海洋交易網(1)

  山海経は朝鮮の近くに

 インドのような国あるいはインド人の国があるといっている。

 とすると、

 インド亜大陸と朝鮮のある東アジアとの行き来が

 紀元前後に実際にあったとの推測が出てくる。

 まず漢の史料に

 その海路についての当時の情報が記載されている。

 「漢書地理志」がその資料で「粤国」に続いて述べられている。

 粤は越と同義で漢の時代には南シナ海に面する地域で、

 前漢時代の紀元前111年に現在のベトナムのホイアンに

 日南郡を置くなど勢力を伸ばした。

 「地理志」は紀元2世紀の著述とされている。

 《Key Word》
 
 漢書
 漢書地理志

 漢書地理志粤地

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 


  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年2月27日木曜日

朝鮮と姑射


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:526頁

 第十章 天毒とセリカ

 朝鮮と姑射

  山海経において朝鮮名は「海内北経」のも現れる。

  朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕列姑射在海
 
  河州中属列姑射西南山環之

 これを平凡社版により読み下すと次のようになる。

   朝鮮は列陽の東の海、北山の南にあり、

  列陽は燕に属す。

  列姑射は海の島の中にあり、

  姑射国は海中にあり、

  列姑射に属し、

  西南には山をめぐらす。

 燕とは春秋戦国時代に燕国のあったことから

 始まる地名で、現在の北京辺りをいうものであり、

 朝鮮との位置関係は確定的である。

 列姑射、姑射は不確定的である。

 しかし、

 この朝鮮、姑射の関係は海内経の朝鮮・天毒の関係に対応する。

 「天毒、この国の国民は水に居る」とは

 「海中の島にある」意と同義である。

 よって天毒と姑射は同じ地理的環境にあることは確かである。

 平凡社版、集英社版とも

 「姑射」を「こや」と振り仮名を付けているが、

 中国語発音で gu-ýe である。

 「姑射」名は東山経にも登場する。

 「さらに南へ三百八十里、姑射の山といい、

  草木なく水が多い。

  さらに南へ水行すること三百里、

  流沙百里にして北姑射の山といい、

  草木なく石が多い。

  さらに南へ三百里南姑射の山といい、

  草木がなく水が多い」。

 これらの姑射山については、

 その前後の用語に朝鮮のような基点を

 確定させるような地名がなく

 どこを指しているのか確定することは難しい。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

朝鮮と天毒(4)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:525頁

 第十章 天毒とセリカ

 朝鮮と天毒(4)

 しかし、朝鮮、天毒には文頭に

 「東海の内、北海の隅」を一度記しているに過ぎない。

 よってこの節は「東海之内北海之隅有国曰朝鮮天毒」までとし、

 「東海の内、北海の隅に、国が有る。

  名は朝鮮・天毒と曰う」と解釈すべきである。

 実際、香港中文大学中国文化研究所の

 「山海経逐次牽引」は

 「東海の内の北海之隅、有国名曰朝鮮、天毒」と表記している。

 「、」は並列を表わす句点として使われている。

 最初に転載してある「ここには黄金」以下の部分を

 「為有黄金、璿瑰、丹貨、銀鉄」としていることからも解かる。

 朝鮮は

 韓半島の衛氏朝鮮(後の楽浪郡)であることは確定的であるから、

 その朝鮮に並んで近くに天毒国があったことを語っているのである。

 あるいはインド人が国を作っていると解釈されるのである。

 因みに「南海の内」はここでは触れないが、後段に登場する。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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朝鮮と天毒(3)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:524頁

 第十章 天毒とセリカ

 朝鮮と天毒(3)

 郭璞のいう通り、

 天毒は地域名としてインド以外に比定できないだろう。

 上記に転載したのは

 平凡社中国古典文学大系の「山海経」の部分である。

 次は集英社「前釈漢文大系」の当該部分である。

  「東海の内、北海の隅に、国有り、名づけて朝鮮と曰ふ。

   天毒は、其の人水居す。」 

 双方とも朝鮮まで第一の文節として切っている。

 それは晋の郭璞の解釈に従っているものであり、

 朝鮮とインドの現在の地理的知識によると

 余りにも離れすぎているため、

 朝鮮・天毒を同地域に含めることを除けて

 解釈したものと考えられる。

 しかし、この二つが所謂

 朝鮮半島とインド亜大陸の「天毒」を言っているとすれば、
 
 その間に一句例えば「南海の内」などが入って然るべきである。

 というのも、続く「西海の内」にある叡市、氾葉を表記するのに

 「西海の内」を繰り返している。

 《Key Word》

 平凡社中国古典文学大系の「山海経」

 集英社「前釈漢文大系」

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年2月26日水曜日

朝鮮と天毒(2)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:523頁

 第十章 天毒とセリカ

 朝鮮と天毒(2)

 だが、その後山海経は改編・加筆などが晋の時代(3世紀)まで、

 行われたことが専門家により明らかにされている。

 ここはその問題を追求するところではない。

 ただ

 「天毒」が記された時期がいつかを詮索して置かなければならない。

  その注釈書「山海経十八巻」を著した

 晋時代の郭璞(276~324年)は、「天毒は即ち天竺国」と注している。

 天竺(てんじく)とはインドを表わす。

 中国の史書にインドが登場するのは

 「史記」大宛伝に張騫が

 大月氏へ派遣された時に聴取した国名として

 「身書」と表記されているのが初見である。
 
 その後天竺、印度などと表記されるが

 「天毒」表記は他にない。

 《Key Word》

 山海経
 山海経

 『山海経』研究上の一課題

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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 神社のルーツ
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朝鮮と天毒(1)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:522頁

 第十章 天毒とセリカ

 朝鮮と天毒(1)

   東海の内、北海の隅に國あり、名は朝鮮。

  天毒、この国の人は水に住む。

  偎(ワイ)人、愛人あり。

  西海の内、流沙の中に國あり、名は壑市(かくし)。

  流沙の西に鳥山なるものあり、三つの川がここより流れる。

  ここには黄金、璿瑰(せんが)、丹貨、銀、鉄あり、

  中国の史書「山海経」第十八海内経の昌頭の一節である。

 ここに「天毒」が現れる。

 内外の地理を説明したものとして知られる

 「山海経」の成立については「史記」大宛伝の最後に

 「太史公曰く」として

 「禹本紀や山海経に記してある怪しい物については、

  私は敢えてこれを語らない」と記しているので、

 紀元前2世紀には存在していたとみられる。

 史記が紀元前92年のことである。

 《Key Word》

 山海経
 山海経

 『山海経』研究上の一課題

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年2月25日火曜日

黄帝と洪西(クンシー)(3)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:521頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 黄帝と洪西(クンシー)(3)

  因みに火把節は倭族に依って日本へもたらされた。

 埼玉県越谷市北川崎に鎮座する

 川崎神社は埼玉県無形文化財に指定されている。

 「松明まつり」を例年行っている。

 その祭日は哈尼族などの正月と同じで

 七月二十四日(日本暦)である。

 夏の夕方であるから午後七時を過ぎてから。

 小は1メートル、大は四メートル、

 太さも大きいもので直径50センチメートルの

 葦や藁で纏め上げた松明に火を点け、

 50本余りを3、4百人が抱えて青々と生った田圃の中を

 「稲の虫ホーイホーイ」と掛け声を上げて四十分ほど練り歩く。

 この神社名「川崎」は正に「火把節」を継承してきた呼称なのである。

 「川」は「火把」で「カワ」、

 「崎」は「節」つまり日本で「節句」となり「セク」である。

 「カワサキ」は「火把節句」なのである。

 祭りの御幣には「風雨順時、五穀豊饒」とある。

 北川崎の東方の地区「大松」は「たいまつ」に依るだろう。

 また、同社には昭和30年頃まで

 「くんち」と呼ぶ十月八日に小中学生が拝殿に籠る

 行事があったという。

 「くんち」もまさに「クンシー」であり、倭族の祭事である。

 十月八日というのは哈尼族などの

 「十月年・シィユエニエン(十月正月)」で

 「十年(グチニエン)」とも称される時季に当たる。

 後の第十章で「天毒とセリカ」で述べるが、

 倭族が日本へ渡って来て二千年は過ぎている。

 ここにその祭事が継承されているのであり、

 極めて貴重である。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

黄帝と洪西(クンシー)(2)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:520頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 黄帝と洪西(クンシー)(2)

 この洪西は、

 タイ内に移住した哈尼族の同族アカ族でも

 「クンシー」の祭りとして継承されている。
 
 そこでは、「畑(田)-新」と理解されている。

 哈尼族の新年は「六月年(六月正月)」と呼ばれるが、

 紅河地区では「苦紮紮(クチャチャ)」、

 西双版納では「耶苦紮(イェクチャ)」という。

 「クチャ」は洪西と同祖である。

 そして黄帝「クンティ」とも同祖と考えられるのである。

 哈尼族、彝族は四川盆地にいた和族であり、

 その稲作の神がクンシーなのである。

 後には述べる日本に渡って来た

 倭族の得意とする技術が

 「養蚕と稲作」であったことも考慮すれば、

 黄帝が稲作の神「クンシー」であったことを

 否定することは出来ない。

 史記の「黄帝」には

 「土徳の瑞有り。故に黄帝と号す」とある。

 土徳とは明らかに農業を表わしている。

 「時に百穀草木を播き、鳥獣虫蛾を順化し」とあるのは

 その証である。

 黄帝は倭族の農業の祖神なのである。

 そのためか三国時代の漢の復興した國、

 蜀が成都に首都を置いた影響で

 劉備の義兄弟関羽の名称に転換され

 「関帝」となり中国各地で廟が建てられている。

 関羽は帝位に就いた者でなく、劉備の臣下である。

 にも係わらず「帝」字が与えられている。

 この名称の秘密がそこにあり、

 漢族は和族の祖神を積極的に尊崇できないために

 敢えて関羽を習合させたのではないかと推察される。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
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 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 

黄帝と洪西(クンシー)(1)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:519頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 黄帝と洪西(クンシー)(1)

  「五帝と夏禹」において黄帝も四川盆地の一勢力で

 あったかもしれないと述べ、

 三星堆遺跡の青銅立人像や黄金仮面人物頭像は

 黄帝を表わしていると想定できるとの見解を述べた。

 そこで、

 四川盆地においては

 どのような性格の神であったかを考えてみる。

 黄帝の后嫘祖が養蚕の神格を持っているのに対して、

 黄帝は農業、それも稲作の神である。

 黄帝は漢音が huang-ti となるが、

 これに近似した表現に「洪西」がある。

 漢音で hong-xi となる。

 洪西は和(倭)族の後裔哈尼族の用語である。

 中国少数民族社会歴史調査資料「哈尼族社会歴史調査」の

 雲南省通海県西定山埧丙哈尼族調査に

 農業祭祀として説明されている。

 「洪」は、「山芦葺扎的火把」、

 つまり山の芦を纏めて作った松明(たいまつ)。

 「西」は「新しい」の意味としている。

 この祭典は哈尼族の新年、

 通年の六月二十四日(日本の七月二十四日)に行われる 

 「火把節(フォパーチェ)」松明祭である。

 洪西は新年を祝う祭りではあるが、

 松明を持って稲の田圃を廻り、

 生長してきた稲を照らして豊作に成ることを祈願し、

 町や村の中にも松明を掲げて災害や厄害を

 除ける祈りの祭りである。

 火把節は哈尼族ばかりでなく、彝族や白(ペー)族等で

 現在でも行われている。

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年2月24日月曜日

青龍と西王母(3)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:518頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 青龍と西王母(3)

  西王母信仰は、

 四川盆地においてメソポタミアの母神と嫘祖信仰が

 合体したものと考えられる。

 彼女の乗物である虎と蜀の象徴である青龍(蠶・蜀)が

 西王母の乗物として並列されるようになったのである。

 嫘祖の出自に係わる「西陵氏の王母」を意味することにもなる。

 同神の頭に機織に使う用具である玉勝を乗せて描かれるのは、

 彼女が織女の女王であることを示す。

  四川省からは成都出土の「西王母画像方磚」

 初め同類の磚図が 

 成都近郊の新津、郫県などから数多く出土している。

 それらの多くは

 後漢時代(紀元一、二世紀)に製作されたものである。

 その他の地域では山東省、河北省、河南省に顕著で

 画像方磚などが出土している。

 書経禹貢の「兗(えん)州」には「桑の土はすでに蠶し」とあり、

 すでに養蚕が行われていることを記しており、

 早い時期から絹系が生産された土地である。

 山東省方面には漢の時代青州が置かれていたが、

 その由来は「青龍、あおむし」に依るものと見られる。

 禹貢「青洲」には「その篚は檿糸なり」とあり、

 これは「山繭の糸」が

 天子への贈り物、つまり納める物であるといっている。

 西王母が「蠶王母」であると言ってよい状況がここにもある。

  西王母は西アジアを起源とする

 母神信仰を基礎とした四川の嫘祖信仰である。

 《Key Word》

 西王母画像方磚

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

青龍と西王母(2)


 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:517頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 青龍と西王母(2)

  「墉城集仙録」には、禹が龍関の山を穿つ物語があるが、

 この龍関の山を「またこれを龍門という」と注がつけられている。

 龍門山は四川省岷山の東盆地と陜西省境の間を走る山地名である。

 つまり、ここが青龍の地への関門に当たっていると

 考えられているのだとみられる。

 すると、明らかに蜀は青龍の地である。

 成都市の東には龍泉山地が南北に走っているが、

 成都と南方の青神市との間には青龍鎮があるほか、

 蛾眉山の東には青龍の地籍があり、

 四川省には龍のつく地名が非常に多い。

 龍鎮、龍橋、蟠龍、伏龍などである。

 地名の面からもこの盆地が龍族の地であることが解かる。

  龍といえば、漢、後漢時代にこの地方においては

 西王母信仰が篤く、

 西王母の造形画がたくさん描かれ残されているが、

 龍と虎に座す姿で表わされている。

 西王母は古代中国で最も幅広く行われた神母信仰である。

  西王母は本来メソポタミアの支配的女神である。


 「史記大宛列伝」の条枝の項に安息(ペルシャ)の古老たちが

 「条枝には弱水、西王母があると伝え聞いているが、

  まだ一度も見たことがない」と話したとの記録がある。

 条枝は当時の西アジアを治めていた

 セレウコス Seleuos 朝の名称に依るもので、シリアを指す。

 西王母とはカナン神話に登場するイシュタル女神のことである。

 同女神はシュメルにおいてイナンナ、

 アッシリアに入ってアシュタル、

 そしてカナンでイシュタル、

 旧約聖書ではアシュラと称された。

 ギリシャ神話にもアフロディテとなり美の女神である。

 イシュタルの本義は星を意味する。

 この女神は中央アジアへも入りミール神といわれ、

 パミール、カシミールの地方名になっている。

 同地方の山岳を中国名で崑崙(こんろん)山脈という。

 ミール mer の意味は malke/meylekh (女王)で瑪と同義である。

 このミルク神を王母として取り入れたのである。

 西王母が虎に乗る女神として描かれことが多い。

 それはイシュタル神の乗物である。

 中国における崑崙山は新彊の南側を

 パキスタン国境から青海省に至るまでの広い山岳地帯をいうが、

 カシミールとの間の山地を喀唎崑崙山といい、

 この狭い地域がミール(王母)の地である。

 西王母が積極的に中国へ入ってきたのは

 紀元前4世紀以降と考えられる。

 大宛列伝の記録もその一つであるが、

 中央アジアを通って来たものであろう。

 《Key Word》

 西王母
 西王母


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:517頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 青龍と西王母(2)

  「墉城集仙録」には、禹が龍関の山を穿つ物語があるが、

 この龍関の山を「またこれを龍門という」と注がつけられている。

 龍門山は四川省岷山の東盆地と陜西省境の間を走る山地名である。

 つまり、ここが青龍の地への関門に当たっていると

 考えられているのだとみられる。

 すると、明らかに蜀は青龍の地である。

 成都市の東には龍泉山地が南北に走っているが、

 成都と南方の青神市との間には青龍鎮があるほか、

 蛾眉山の東には青龍の地籍があり、

 四川省には龍のつく地名が非常に多い。

 龍鎮、龍橋、蟠龍、伏龍などである。

 地名の面からもこの盆地が龍族の地であることが解かる。

  龍といえば、漢、後漢時代にこの地方においては

 西王母信仰が篤く、

 西王母の造形画がたくさん描かれ残されているが、

 龍と虎に座す姿で表わされている。

 西王母は古代中国で最も幅広く行われた神母信仰である。

  西王母は本来メソポタミアの支配的女神である。


 「史記大宛列伝」の条枝の項に安息(ペルシャ)の古老たちが

 「条枝には弱水、西王母があると伝え聞いているが、

  まだ一度も見たことがない」と話したとの記録がある。

 条枝は当時の西アジアを治めていた

 セレウコス Seleuos 朝の名称に依るもので、シリアを指す。

 西王母とはカナン神話に登場するイシュタル女神のことである。

 同女神はシュメルにおいてイナンナ、

 アッシリアに入ってアシュタル、

 そしてカナンでイシュタル、

 旧約聖書ではアシュラと称された。

 ギリシャ神話にもアフロディテとなり美の女神である。

 イシュタルの本義は星を意味する。

 この女神は中央アジアへも入りミール神といわれ、

 パミール、カシミールの地方名になっている。

 同地方の山岳を中国名で崑崙(こんろん)山脈という。

 ミール mer の意味は malke/meylekh (女王)で瑪と同義である。

 このミルク神を王母として取り入れたのである。

 西王母が虎に乗る女神として描かれことが多い。

 それはイシュタル神の乗物である。

 中国における崑崙山は新彊の南側を

 パキスタン国境から青海省に至るまでの広い山岳地帯をいうが、

 カシミールとの間の山地を喀唎崑崙山といい、

 この狭い地域がミール(王母)の地である。

 西王母が積極的に中国へ入ってきたのは

 紀元前4世紀以降と考えられる。

 大宛列伝の記録もその一つであるが、

 中央アジアを通って来たものであろう。

 《Key Word》

 西王母
 西王母

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ