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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:508頁
第九章 中国の祝祭と皇帝
五帝と夏禹(1)
漢書地理志の蜀覧に「蠶陵」が載っている。
史料は蠶陵が漢の縣名で「四川省松滈縣の疊渓營の西」とある。
「読史方輿紀要」には「四川疊渓宇禦軍民千戸所」と示し、
「蠶陵廃縣、所西百三十里、漢縣属屬部、後漢因之、
元初元年(紀元114年)蜀軍彝寇蠶陵、延熹二年(紀元159年)、
復来寇、晋亦為蠶陵縣、属汶郡」とあり、
後漢の時代に蜀郡にいた彝族に一時奪われたといっている。
つまり、紀元150年頃においても彝族が成都市の北方まで
岷山山中に勢力を伸ばすような地域に居住し、
しかもそれだけ強力であったことを明らかにしているのである。
貴州省の苗族が1900年過ぎに彝族を「マン」と呼んだ理由が
「岷山」「汶山」などの地名地域に依る
ものであることを証明するものである。
《Key Word》
蠶陵
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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