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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:521頁
第九章 中国の祝祭と皇帝
黄帝と洪西(クンシー)(3)
因みに火把節は倭族に依って日本へもたらされた。
埼玉県越谷市北川崎に鎮座する
川崎神社は埼玉県無形文化財に指定されている。
「松明まつり」を例年行っている。
その祭日は哈尼族などの正月と同じで
七月二十四日(日本暦)である。
夏の夕方であるから午後七時を過ぎてから。
小は1メートル、大は四メートル、
太さも大きいもので直径50センチメートルの
葦や藁で纏め上げた松明に火を点け、
50本余りを3、4百人が抱えて青々と生った田圃の中を
「稲の虫ホーイホーイ」と掛け声を上げて四十分ほど練り歩く。
この神社名「川崎」は正に「火把節」を継承してきた呼称なのである。
「川」は「火把」で「カワ」、
「崎」は「節」つまり日本で「節句」となり「セク」である。
「カワサキ」は「火把節句」なのである。
祭りの御幣には「風雨順時、五穀豊饒」とある。
北川崎の東方の地区「大松」は「たいまつ」に依るだろう。
また、同社には昭和30年頃まで
「くんち」と呼ぶ十月八日に小中学生が拝殿に籠る
行事があったという。
「くんち」もまさに「クンシー」であり、倭族の祭事である。
十月八日というのは哈尼族などの
「十月年・シィユエニエン(十月正月)」で
「十年(グチニエン)」とも称される時季に当たる。
後の第十章で「天毒とセリカ」で述べるが、
倭族が日本へ渡って来て二千年は過ぎている。
ここにその祭事が継承されているのであり、
極めて貴重である。
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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