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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:512頁
第九章 中国の祝祭と皇帝
五帝と夏禹(5)
四川省成都の北方広漠の更に北方に黄許鎮という地籍があり、
付近には黄鹿という地名もあり、
黄帝も四川盆地の一勢力であったかもしれない。
五帝本紀は「黄帝は少典の子なり」と記し、
諸侯(少典)の国の出身であるといっている。
夏禹の中原への進出により黄帝・嫘祖を祖とする始祖伝承が
蜀から黄河流域へ伝えられたのである。
「軒轅」は、
彝語の「星」を表わす
kéa, kam, kuh, w の漢語への音写と
推測することができる。
「軒轅の丘」は「三星堆」であったとみられる。
第四代高辛は玄囂(げんどう)の孫で帝嚳(こく)という。
第五代舜は顓頊の六代の裔で
禹の父鯀(こん)の兄の系図に連なるという。
以上触れた帝王たちは全て黄帝と嫘祖の後裔と本紀は述べている。
夏の後には殷が興る。
「湯及ち天子の位を踐み、夏に代わりて天下を朝せしむ。
湯、夏の後を封ず。
周に至りて杞に封ず」と夏紀本紀にあるが、
杞は河南省新鄭の東方にある杞県が同地である。
史記「杞世家」はいう。
「杞の東樓公は、夏后禹の後の苗裔なり。
殷の時、或は封ぜられ、或いは絶ゆ。
周の武王、殷紂を克ち、禹の後を求め、
東樓公を得、之を杞に封じ、
以て夏后氏の祀を奉ぜしむ」
《Key Word》
五帝 高陽氏顓頠(せんぎょく)
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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