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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:516頁
第九章 中国の祝祭と皇帝
青龍と西王母(1)
史記「封祥書」に
「夏は木徳をそなえていたので、青龍が郊外にとどまり、
草木が枝を伸ばしてよく茂った」とある。
また夏本紀には、王権が衰えてきたとき、
天が二龍を下したが、よく養うものがなく
雌龍が死んでしまったという伝承を載せている。
夏は龍族であったとの挿話である。
夏に係わる青銅器などの装飾には
龍をあしらったものが多いという。
禹は虫を意味する。
禹の生誕地蜀は「あおむし」を表わす。
「あおむし」は「山繭蚕」である。
蜀王朝の開祖「蚕叢氏」は青衣神あるいは青神と謂われた。
黄帝の息子昌意の后は「蜀山氏」の出であったが、
山繭をトーテムにしていた。
また設文で叢と同訓の「総」について「神蛇なり」といい、
これは蚕と考えられる。
このような状況を判断すると
「青龍」とは山繭の比喩的名称と考えられる。
《参考》
出典:『西南シルクロード紀行』・宍戸 茂
西南シルクロード紀行 [単行本]
西南シルクロードの起点・三星堆へ
『華陽国志』
ここで4世紀に書かれた史書『華陽国志』が登場する。
古代の蜀の国をめぐる伝説や神話が記されている書物で、
その中に
<古代の蜀の国の最初の王は、名を蚕叢(さんそう)と言い、
その目が縦目である>の一行があるのだ。
ここに着目した
考古学者・徐朝龍氏(国際日本文化研究センター教授)は
精力的に著作を発表、
現在、三星堆の研究に関しては
中国・日本を通じて第一人者であると言っていい。
「縦目仮面の主は蜀王・蚕叢」にあてる説が
今では中国の学者たちにも受け入れられつつある。
「蜀王・蚕叢」
蚕
それまで奇書としての評価しか得られなかった
『華陽国志』がクローズアップされることになる。
「二号坑」から出土した仮面が物的証拠となり、
伝説・神話の類とされた内容の見直しを迫ったのだ。
蚕叢ははじめて岷山に住まいを定めたこと、
人々に養蚕を教えた王であることなど。
そして現実に蚕叢を神として祭る地方が四川省に存在すること、
岷江の上流一帯に蚕の文字がつく地名がいくつもあることなど。
●縦目仮面は蚕叢である
●蚕叢は蜀の国の初代の王である
●蚕叢は人々に養蚕を教えた
蚕叢は養蚕の神様
「蜀」と蚕
「蜀」と蚕
これら三つの仮説をさらに整理すると
<三星堆=蜀=蚕=蜀錦>が浮かび上がってくる。
そもそも甲骨文にある「蜀」と言う文字は、
桑の葉を食べる蚕がうごめくさまを象ったものである、
と言われている(後漢時代の書『説文解字』)。
甲骨文に刻まれた「蜀」の字体である。
甲骨文に刻まれた「蜀」の字体
右から2番目が周時代のもので、漢字に近づいていることが分かる。
山繭
山繭
これが蚕である。
桑の葉を食べる音がはっきりと聞こえる。
雲南省大理近くの村で撮影した。
一見非科学的な神話・伝説に出てくる王国や都市が、
考古学的調査に裏付けられて発掘され、実際に証明されることはある。
仮説を認めたがらない学者や研究者は多い。
仮説を立てる者、それを認めない・否定する者。
両者の対決は
「文字史料」という決定的な証拠が発掘されるまで続くだろう。
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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