2014年2月24日月曜日

青龍と西王母(1)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:516頁

 第九章 中国の祝祭と皇帝

 青龍と西王母(1)

  史記「封祥書」に

 「夏は木徳をそなえていたので、青龍が郊外にとどまり、

  草木が枝を伸ばしてよく茂った」とある。

 また夏本紀には、王権が衰えてきたとき、

 天が二龍を下したが、よく養うものがなく

 雌龍が死んでしまったという伝承を載せている。

 夏は龍族であったとの挿話である。

 夏に係わる青銅器などの装飾には

 龍をあしらったものが多いという。

 禹は虫を意味する。

 禹の生誕地蜀は「あおむし」を表わす。

 「あおむし」は「山繭蚕」である。

 蜀王朝の開祖「蚕叢氏」は青衣神あるいは青神と謂われた。

 黄帝の息子昌意の后は「蜀山氏」の出であったが、

 山繭をトーテムにしていた。

 また設文で叢と同訓の「総」について「神蛇なり」といい、

 これは蚕と考えられる。

 このような状況を判断すると
 
 「青龍」とは山繭の比喩的名称と考えられる。

 《参考》

    出典:『西南シルクロード紀行』・宍戸 茂
     西南シルクロード紀行 [単行本]
     西南シルクロードの起点・三星堆へ

 『華陽国志』

  ここで4世紀に書かれた史書『華陽国志』が登場する。

 古代の蜀の国をめぐる伝説や神話が記されている書物で、

 その中に

 <古代の蜀の国の最初の王は、名を蚕叢(さんそう)と言い、

  その目が縦目である>の一行があるのだ。

 ここに着目した

 考古学者・徐朝龍氏(国際日本文化研究センター教授)は

 精力的に著作を発表、

 現在、三星堆の研究に関しては

 中国・日本を通じて第一人者であると言っていい。

 「縦目仮面の主は蜀王・蚕叢」にあてる説が

 今では中国の学者たちにも受け入れられつつある。

 「蜀王・蚕叢」

 

  それまで奇書としての評価しか得られなかった

 『華陽国志』がクローズアップされることになる。

 「二号坑」から出土した仮面が物的証拠となり、

 伝説・神話の類とされた内容の見直しを迫ったのだ。

 蚕叢ははじめて岷山に住まいを定めたこと、

 人々に養蚕を教えた王であることなど。

 そして現実に蚕叢を神として祭る地方が四川省に存在すること、

 岷江の上流一帯に蚕の文字がつく地名がいくつもあることなど。

 ●縦目仮面は蚕叢である

 ●蚕叢は蜀の国の初代の王である

 ●蚕叢は人々に養蚕を教えた 

 蚕叢は養蚕の神様

  「蜀」と蚕

 「蜀」と蚕

  これら三つの仮説をさらに整理すると

 <三星堆=蜀=蚕=蜀錦>が浮かび上がってくる。

 そもそも甲骨文にある「蜀」と言う文字は、

 桑の葉を食べる蚕がうごめくさまを象ったものである、

 と言われている(後漢時代の書『説文解字』)。

 甲骨文に刻まれた「蜀」の字体である。


 甲骨文に刻まれた「蜀」の字体


 右から2番目が周時代のもので、漢字に近づいていることが分かる。

 山繭
 山繭

 これが蚕である。

 桑の葉を食べる音がはっきりと聞こえる。

 雲南省大理近くの村で撮影した。

  一見非科学的な神話・伝説に出てくる王国や都市が、

 考古学的調査に裏付けられて発掘され、実際に証明されることはある。

 仮説を認めたがらない学者や研究者は多い。

 仮説を立てる者、それを認めない・否定する者。

 両者の対決は

 「文字史料」という決定的な証拠が発掘されるまで続くだろう。


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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