『Yahoo!天気・災害』
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:242頁
第四章 ウラルトゥ-5
ウラルトゥ Urartu の名称は新アッシリアの
サルマナッサル三世の宮殿跡を「バラクトの丘」で発掘した際
見つかった粘土板の楔形文字史料のなかで、
「アッシリアに敵対する国」として言及されたのを初出とする。
因ってその呼称はアッシリア名であることが知られる。
彼等自身は、
その地方をウラルトゥ語でビィアイニリと呼んでいた。
Urartu の字義については諸説あるが、
ハブールのウリにハルディ神の主神殿があったことと、
その所をアルディニと呼んだことを考慮すると
「ウル Ur の artu」と解釈することができる。
Artu と ardi(-ni) は同根語と考えられるし、
南メソポタミアの都市名エリドゥ Eridu と近似している。
エリドゥ市名の検討に当たってサンスクリット語の
「登ること」の ā-rudhi などを参照したが、
塔を備えた神殿が多く建造されたことを考え合わせると、
高床式神殿の「高み」と係わりがある。
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Ir aq).
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