ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年10月8日火曜日
大陸ケルト人-3
『Yahoo!天気・災害』
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:256頁
第四章 大陸ケルト人-3
ところで、「肉入りスープ」のことをギリシャ語で、
zoomos というが、この用語は日本にやって来て「雑煮」と転訛した。
お正月の元旦の朝に家族皆で食べる「もち入り汁」のことである。
平安時代に祝祭が禁止された後に餅に替わったが、
それ以前は「肉入り汁」であったと思われる。
西アジアの習慣がどうして日本へ入ってきたのだろうか。
祝祭が日本の古代において盛んに行われていたことは既述の通りである。
黒海の西海岸にルーマニアとブルガリアの国境を流れるドナウ川がある。
この川は古代にイシュタル川と呼ばれた。
イシュタルはアッシリアでアシュタルと呼ばれ、
カナアンでイシュタルとなった女神の神名である。
トラキアからエブロス川を遡及し、ドナウ川沿いに影響した
スバル人の青銅器技術はさらに大陸の 内奥へと伝播されたと考えられる。
スバル人自身が進出していったかどうかは定かでない。
黒海沿岸地帯で吸収された金属(青銅器)加工技術と
祝祭ないし牛角崇拝の信仰文化が、
この地方の民族に依って運ばれたとも考えられる。
ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
『参考』
Tell Arpachiyah (Ir aq).
ハラフ期の土器につ い て
まんどぅーかネット
シュメル絵文字
シュメル語・日本語
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
《Key Word》
雑煮
雑煮
ドナウ川
ドナウ川(ドナウがわ、ラテン語:Danubius、スロヴァキア語:Dunaj、セルボクロアチア語:Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, ブルガリア語: Дунав, ルーマニア語: Dunăre、英語、フランス語: Danube)
イシュタル
イシュタル (新アッシリア語: DINGIR INANNA、翻字: DMÙŠ、音声転写: ishtar)
黒海
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