2013年10月21日月曜日

洪水伝説と祝祭(6)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:283頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(6)

  旧約聖書の信奉者であるヘブライ人との関係はどうなのか。

 ノアの系図の子孫テラはカルディア人のウルにおり、

 その子ハランはそこで死んだ。

 テラはその子アブラムなどとともに

 そこカルディアのウルを出た(第二章)と語られている。

 カルディアのウルは

 南メソポタミア、シュメルの都市ウルと一般に考えられており、

 ヘブライ人と南メソポタミアの民族との親密さを語る。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ノアの箱舟

洪水伝説と祝祭(5)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:282頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(5)

  前述の三つの洪水伝説を並べてみると、

 旧約聖書の「ノアの箱舟」伝承は

 明らかにメソポタミアの物語を散り入れたものであることが解る。

 パレスティナからは、紀元前千二百年頃製作の

 洪水伝説を語る粘土板の断片が見つかっていることは、

 旧約聖書が製作される以前に同伝説がカナアン地方に

 持ち込まれていたことを明らかに示している。

 旧約聖書「創世記」の執筆者がメソポタミアの資料を参照して、

 独自の神話に組み替えたのだと推測される。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ノアの箱舟

2013年10月20日日曜日

洪水伝説と祝祭(4)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:281頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(4)

 「オリエント神話」

 次に旧約聖書創世記第八章から、

 前証に当たる大洪水後の部分を抜粋して転載する。

  (日本聖書教会版)

  四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、

  烏を放ったところ、烏は地の上から地上の水が乾ききるまで、

  あちこちへ飛びまわった。

  ノアはまた地の面から、水がひいたかどうかを見ようと、

  彼の所から鳩を放ったが、

  鳩は足の裏を止める所が見つからなかったので、

  箱舟のノアのもとに帰って来た。

  水がまだ全地の面を覆っていたからである。

  彼は手を伸べて、これを捕らえ、

  箱舟の中のを彼のもとに戻した。

  それから七日待って、再び鳩を箱舟から放った。

  鳩は夕方になって彼のもとに帰って来た。

  見ると、そのくちばしには、オリーブの若葉をあった。

  ノアは水が地上からひいたのをを知った。

  さらに七日待って、また鳩を放ったところ、

  もはや彼のもとに帰って来なかった。
 
  (中略)

  ノアは共にいた子らと、妻と、子らの妻たちとを連れて出た。

  また、全ての獣、全ての這うもの、全ての地の上を動くものは皆、

  種類に従って箱舟を出た。

  ノアは、主に祭壇を築いて全ての清い鳥とのうちから取って

  燔祭を祭壇の上に捧げた。

  主はその香ばしい香りをかいで、心に言われた。

 「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない」


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 旧約聖書創世記第八章全焼

洪水伝説と祝祭(3)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:280頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(3)

  もう一つのメソポタミアの洪水伝説を記す粘土板の文書は

 ニップルから出土した。

 しかし、こちらは既に破損などによる読解不可能部分や欠落があり、

 「ギルガメシュ叙事詩」ほど完全ではないが、

 上記箱舟の部分は読み取りが可能であった。

 この粘土板の物語はギルガメシュ叙事詩より古いものと考えられている。

 旧約聖書のノアあるいはウトナピシュティムに当たる

 この粘土板の王はジウスドラという。

 ヘルムート・ウーリッヒ「シュメル文明」よりその部分を転載する。

  恐れるべき嵐が荒れ狂った。

  同時に破壊的な大洪水が起こった。

  七日七夜にわたって、

  嵐と洪水は国中を被った。

  巨大な箱舟は、嵐の中を波のまにまに揺れ動いた。

  その時、太陽の神が現れ、天と地を照らした。

  太陽神ウトゥの光は巨大な箱舟の中に差し込んだ。

  王、ジウスドラは、

  ウトゥの前にひざまづいた。

  王は一頭の牡牛を屠殺し、沢山の羊を犠牲に捧げた。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ニップル

2013年10月19日土曜日

洪水伝説と祝祭(2)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:279頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(2)

 「オリエント神話」

 ウトナピシュティムの船が洪水が治まってから

 ニシル山に着いてからの七日目以降の詩句を転載する。

  七日目になった時、

  私は鳩を派遣し、解放した。

  鳩は飛び去ったが、帰って来た。

  どこにも休む場所が見えなかったので、

  鳩は戻った。

  そこで、私は燕を派遣し、解放した。

  燕は飛び去ったが、帰って来た。

  どこにも休む場所が見えなかったので、

  燕は戻った。

  そこで、私は烏を派遣し、解き放した。

  烏は飛び去り、水が引いたのを見て、

  彼は食べ、旋回し、カアカア鳴き、

  そして戻らなかった。

  そこで私は四つの風に全てを解き放し、

  そして、犠牲を捧げた。

  私は山の頂上に神酒を注いだ。

  私は七つ、また七つと祭器を置いた。

  私はそれらの壺の台の上に、

  草と杉の木とテンニンカを積み上げた。

  神々はその香りを嗅ぎ、

  神々はその甘い香りを嗅ぎ、

  神々は蝿のように、

  犠牲の施主のまわりに群がった。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 テンニンカ

洪水伝説と祝祭(1)


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:278頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:洪水伝説と祝祭(1)

  ノアの箱舟として知られる洪水伝説は旧約聖書にだけ

 特異の物語ではない。

 メソポタミアの粘土板の楔形文字文書のなかに二つの伝承があるのである。

 そううち最も神話として完成され、残されているものは、

 紀元前二千年頃のアッカドの文書「ギルガメシュ叙事詩」に

 語られているものである。

 ギルガメシュは紀元前三千年紀書紀のシュメルの都市ウルの王で、

 ギルガメシュの英雄物語と共に、不死を探究して旅に出、

 ウトナピシュティムという不死を与えられた者から閉ざされる。

 物語は、ジョン・グレイ「オリエント神話」など

 すでに日本語に翻訳されているので、

 ここでは同書からウトナピシュティムの船が洪水が治まってから

 ニシル山に着いてからの七日目以降の詩句を転載する。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ギルガメシュ叙事詩

 ウトナピシュティム

 ジョン・グレイ「オリエント神話」

2013年10月18日金曜日

ゲルマン-14


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:277頁

 第四章 ゲルマン-14

  ゲルマンの大族スエヴィ( Suebi ないし Sueves )は

 「ガリア戦記」に載るローマ人の表記によるものであるが、

 彼等のアルプス山脈の北側に移動した集団は、
 
 そこにスワビアないしシュワーベン地方を形成する。

 中世(十三世紀)になると、

 北方のサクソニア地方にハンザ同盟、

 南方にはスワビア同盟という都市同盟を組み、

 神聖ローマ帝国より商業的独立を確保した。

 そして、

 スワビアの南に一三一五年

 スイスのシュヴィッツを中心とする三州のスイス自由連邦が成立した。

 スイスの国旗にみられるように、その象徴「赤十字」である。

 このようにスエヴィ族には自主独立の風が強い。

 二十世紀のフランスの実存主義の哲学者サルトルは

 その血縁にドイツの音楽家にして医者で

 アフリカの聖人シュバイツァ博士がるようにスエヴィ族の後裔であるが、

 彼の展開した「主体性」は

 彼の祖先である民族的文化に潜む独立・自主の想念 sva を

 集団としての民族から「個人」に転換して主張したものである。

  このようなスエヴィ族の正確を考慮すると、

 Suebi の祖語は Suva-iberi(十字崇拝者)であった可能性がある。

 北メソポタミアの「ケルト人」の文化の影響を受けたものである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 アルダビル

ゲルマン-13


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:276頁

 第四章 ゲルマン-13

  ここに、アルダビルをアース族の祖地としたらどうかとの疑念が湧くが、

 それには条件が十分でない。

 牛頭崇拝などの信仰が涵養された古くからの史跡がみられないからで、

 主な遺跡は青銅器時代に入ってからであり、

 アース族によってもたらされた

 「ゲルマン」の名称は南メソポタミアとケルマンシャーなど

 イランの西南地方を中心とする信仰の象徴であることによる。

  紀元前二世紀になると中国の史料にカスピ海の北辺に活躍する

 「奄蔡」が記録されるようになる。

 アルダビル周辺にいた人々は神話の語る通り

 ローマ帝国の脅威を感じてさらに北方へと移動して行ったのである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 アルダビル

2013年10月17日木曜日

ゲルマン-12


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:275頁

 第四章 ゲルマン-12

  北方移動したアラーン人は

 カスピ海の西岸イランとアゼルバイジャン辺りに長期滞留し、

 アルダビ Ardabi を中心にしてその一部は

 紀元前十五世紀に

 北メソポタミアにフルリ人を統括してミタンニ国を支配したと推測される。

 同地方からは銅や鉛が産出する。

 この辺りには青銅器の遺跡が散在する。

 アラーン人はこの地で鉄の加工技術を修得し、

 鉄鍛冶を名称とする「アース族」の名を得たのかもしれない。

 ミタンニ国のフルリ人は金属加工の技術集団である。

 鉄についても、

 ギリシャ神話「アルゴー丸の英雄たち」に

 伝承される鋼鉄をつくるカリュベス人の国もフルリ人とみられる。

 ハッティ(ヒッタイト人に鉄を教えた)人に

 鉄の技術を伝授したのもフルリ人の可能性があり、

 フルリ人が居住する北メソポタミアの東に隣接したことにより

 アース族はその技法を習得したのである。

 以後彼等の勢力はカスピ海の北方へあるいは

 イラン高原へと拡張することとなる。

 森浩一編『鉄』古代東方の鉄鍛冶金には

 村上英之助の報告として

 「紀元前七・六世紀と推定されるイラン出土の刀子(とうす) の構造を

  研究したフランスのラノ(A.F.Lanora) は

  鋼と矛鉄を交互に重ねて鍛打したことを明らかにし、

  その製作地をカスピ海南西のグルジスタンと推定している」

 との一文を紹介している。

 グルジスタンは

 現代名のイラン西北部、イラクの東北、トルコの南東端を含める地域で、

 アルダビルのある地方をいっているとしてよいだろう。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

ゲルマン-11


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:274頁

 第四章 ゲルマン-11

  バビロニアにカッシート王朝を築いた人々には

 ザクロス山脈にいた種族ではなく、

 さらに北方から次第にのろのろと

 移動を続けた人々との事実が明らかになっている。

 それより古くから定住していたアラーン人の祖族は

 紀元前一九世紀頃からカッシート人に圧迫されて

 ザクロス山脈の東側を北上し、北メソポタミアへ侵入し

 ミタンニ国を建てる原動力となり、

 東方の草原に出た部族はアリアナに辿り着き、

 そこに残留した人々はイラン人となり、

 さらに東方へとヒンズークシ山脈の南をパンジャブ地方へ出た人々が

 アーリア人となったのである。

 サンスクリット語のアーリアは「高貴な、高徳な」を表す。

 本来 Āŗān と関係する用語ではあるがまた「高み」の意味があり、

 「高み」である altar (祭壇)、アルデスタンとも通じる。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

2013年10月16日水曜日

ゲルマン-10


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:273頁

 第四章 ゲルマン-10

  さらに重要な地方名及び町名 Kāshān である。

 この名称はドイツ語の hashieren に対応する。

 ドイツ語の意味は「肉を刻む」であるが、

 これはまた kasher (英独語) と 関係する。

 同語はヘブライ語の「清浄な」の意味で、

 宗教的にはユダヤ教の典範に適っていることを基礎とする形容である。

 特に食物についての規則によって殺された肉類をいい、

 その点でドイツ語の hashieren と通ずる。

 旧約聖書レビ記に書かれる

 「燔蔡の獣の皮を剥ぎ、節々に切り分かたなければならない」に相当する。

 Koshei はインド・アーリア人の国名コーサラ Kosala としても表れる用語で、

  Kāshān は祝祭の際に犠牲獣を処理することを意味し、

 祝祭の場であることを意味し、

 祝祭の場であることを地方名・町名にしたのである。

 オーデンの故郷には大きな供犠所があったとの記述を

 アルデスタンの町名と共に説明するものである。

 なお、第八章の中の「アーリア人の侵入」においても詳説する。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 旧約聖書レビ記

 レビ記(口語訳)

ゲルマン-9


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:272頁

 第四章 ゲルマン-9

  イランのカビル砂漠の西南ザクロス山脈と砂漠との間に

 カーシャーン Kāshān 地方があるが、

 この地方こそゲルマン人の母体であるアラーン人の祖地である。

 そこにエスファンの町がある。

 古くはイスパハンと呼ばれ、

 十三世紀にはマルコポールが元への旅の途次
 
 行帰りとも通った交通の要路に当たるが、

 その北にアルデスタン Ardestan という小さな町があり、

 オセットの Andon はこの arde- と同じ語幹である。

 Anle- は altar で祭壇を表すので、

 アルデスタンは「祭壇の地」である。

 また、アルデスタンのさらに北方に地方名と同じ Kāshān の町があり、

 その東側にアーラーン Ārān の町がある。

 アラーン人そのものの地名といってよいであろう。

 ここは彼等の故郷とするに十分な環境にある。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』
 
 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

2013年10月15日火曜日

ゲルマン-8


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:271頁

 第四章 ゲルマン-8

  アーサガルズ Assigardz (あーさ族の首都)の比定地は定かでない。

 しかし、この名称には「エデンの園」の概念が投影しているように思える。

 ドイツ語で東を表す用語は Ost で、

 コーカサスのオセット Osset 東方の意味とみられる。

 ガルズ gardz は

 ドイツ語の Garten 、

 英語の garden 、

 ウェールズ語の gard

 と同類の「庭」を表す用語と考えられる。

 アーサガルズは「東方の園」の意義であり、

 旧約聖書創世記に

 「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて」 

 と語られる「東のかた」に対応する。

 コーカサスのオセット人の領域は

 現在グルジア国とロシアに二分されているが、

 そのロシア領内にオードン Ardon の町と

 そこを流れるオードン川があり、

 その名は Ordhon とも表記され、

 神話のオーデンと縁があろう。

 しかし、このコーカサスの山中が

 ゲルマン人の祖地とは考えられない。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 
『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 旧約聖書創世記

ゲルマン-7


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:270頁

 第四章 ゲルマン-7

  アーサ Ās は鍛冶を意味する。

 ドイツの西方ボン市の北方に Essen 市がある。

 ここは鉄鉱石の産地で鉄鋼業が盛んであるが、

 その基語 Esse は鍛冶場ないし鍛冶用の炉の意味である。

 エッセン市は Ass とも表記される。

 因みにドイツ語の鉄は Eisen である。

 突然であるが、

 奈良県天理市奄治町は周囲に鏡作りに係わる神社のある地域で

 『新撰姓氏録』大和国神別に

 奄知造が載るように倭鍛冶に係わった地区であったが、

 奄治は奄蔡と同音である。

 北コーカサス及びグルジア国内に居住するオセット人には

 「ナルト叙事詩」という伝承が残されているが、

 日本の神話

 (三種の神器と天孫降臨、海幸彦、山幸彦と

  ウガヤフキアエズノミコトの誕生物語)

 と酷似する物語が含まれており、

 アラーン人と日本の古族との間に

 全く無関係とはいうわけではないのである。

 アーサ神族が遊牧の民であったにしても、

 彼等が金属加工の技術を獲得していたことが

 うかがわれるところである。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 新撰姓氏録

 ナルト叙事詩

2013年10月14日月曜日

ゲルマン-6


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:269頁

 第四章 ゲルマン-6

  その神話によるとアーサ神族は移動先の神族とみられる

 ヴァン族と戦いを構えるが、終局的には平和的に結合し、

 親しい種族として成立することとなる。

 紀元後三、四世紀のゲルマン族の大移動時代アラーン人は

 ヨーロッパ大陸中央に進出し、

 その後イベリア半島(ポルトガル)の南部にまで移動し、

 Alen-tejo の地名、またリスボンの西の半島の先端に
 
 Casvals 名を残している。

 しかし、この移動部族はオーディンの率いた者達ではない。

  彼の率いた部族は、

 その定着地を考慮するとゲルマン人の大族スエヴィ族である。

 彼等は東方からの侵入部族と土着の種族との血縁的混合を

 行った人々と考えられる。

 スエヴィ族が後に作った国の人たち、シュワーベン人は

 「頭の黒い人」と呼ばれた。

 土着的ヴァン神族は北方人種で金髪、皮膚の白い長身の種族である。

 アーサ神族が黒い頭髪の人々であったであろう。

 彼等は大きな供犠所の祭司を伴ってきた。

 その宗教とは牛頭崇拝(ゲルマン=大きな階段)であって、

 オーディンの尊称「偉大な戦士」とは

 シュメル語の gu-ud であり、

 ドイツ語の神を表す Gott 、
 
 英語の God は

 この語に由来すると考えられる。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

ゲルマン-5


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:268頁

 第四章 ゲルマン-5

  オーディンはゲルマン人の父祖とされる最高神である。

 同神はゲルマン人の母体であったアーサ国、

 よってアラーン族の首都とみられるアーサガルズに城を構え

 支配者として君臨していたが、いつも旅に出ていた、

 つまり、遊牧生活をしていたのである。

 そして、アーサガルズに大きな供犠所があって十二名の司祭がおり、

 その中から首長(コジ)が出ていたという。

 アーサガルズはどこにあったのだろうか。

 ローマの軍事力に圧迫された地域であったはずだが、

 歴史的にはローマの影響を受けなかっただろう

 トルキスタンから遠くないところといっている。

 若干の矛盾がそこにはみられる。

 ローマの圧迫を受けたオーディンを主祭神とする

 アーサ族(奄蔡/阿蘭)の部族は祭司を初めとする一族を率いていて
 
 ガルザリーキを経てサクスランド、つまりニーデルザクセン地方に至り、

 その後、フュン島に渡って住居を定めたという。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

2013年10月13日日曜日

ゲルマン-4


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:267頁

 第四章 ゲルマン-4

  タナクヴィースルは黒海の北アゾフ海に流れ込むタナイス河、

 現在のヴォルガ河の支流の名称で、それより東方をアーシアー、

 つまりアジアであるが、

 アーサランドまたはアーサヘイムと呼んだといっている。

 このアーサは中国の紀元前二世紀の漢の時代の

 『史記』大宛列伝に表れる「奄蔡(えんさい)」(アーサ)のことである。

 史記の記述によると、現在のキルギスにいた康居(こうきょ)国の

 西北二千里ばかりのところにある国で弓を引く兵が十余万人で、

 はてしない大沢に臨んでいるが、それは多分北海だろうといっている。

 しかし、

 この北海が大西洋に連なるイギリスとヨーロッパ大陸の間の

 北海であるかどうかは不明である。

 彼等は紀元前二世紀頃、

 第五章にいうチュルクランド、現在のトルキスタン地方から

 カスピ海の北方、そして黒海の北方からコーカサス山脈の北まで、

 その騎馬を駆使して活動していたと思われる。

 外コーカサス山脈に挟んで現在も居住する

 オセット人はこのアース Ās と同族である。

 紀元前後になるとギリシャ、ローマの文献にアラーン Alān 族として表れる。
 
 中国の史書『魏略』にも阿蘭と記述されている。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 『史記』大宛列伝
 大宛(呉音:だいおん、漢音:たいえん、拼音:Dàwǎn)とは、紀元前2世紀頃より中央アジアのフェルガナ地方に存在したアーリア系民族の国家。

 奄蔡

 康居

 黒海

 アゾフ海

 カスピ海

 魏略

 アラン人

ゲルマン-3


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:266頁

 第四章 ゲルマン-3

  谷口幸男の「エッダとサガ」に紹介されている

 「ヘイムスクリンガラ」はゲルマンの開闢神話であるが、

 その第五章の一部を転載する。

  その山脈の南のチュルクランドから遠くない。
 
 そこにオーディンは大きな領地を持っていた。

 当時ローマの王将らは世界に兵を進めて、

 全ての民を支配下においていた。

 それで多くの王達は戦乱を逃れてその領地を去った。

 だが、オーディンは未来がわかり、魔法に通じていたので、

 自分の子孫が世界の北の地方に住む」だろうということがわかった。

 兄弟のヴェールとヴィリをアースガルズに残し、

 全てのディーアルと民衆をつれて国を去った。

 彼は先ずガルザリーキに行き、それからサクスランドに行った。

 彼は沢山の息子を持っていた。

 サクスランドであまねく、多くの国々を手中に治め、

 国の守りに息子達を配した。

 それから彼は北進して海に至り、ある島で住居を定めた。

 そこは今日オーデンセと呼ばれフュン島にある。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 オーディン

 オーディンの名前

 オーデンセ

 フュン島

2013年10月12日土曜日

ゲルマン-2


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:265頁

 第四章 ゲルマン-2

  谷口幸男の「エッダとサガ」に紹介されている

 「ヘイムスクリンガラ」はゲルマンの開闢神話であるが、

 その第二章の一部を転載する。

  タナクヴィースルの東のアシーアーの地は

 アーサランドまたはアーサヘイムと呼ばれた。

 城にはオーディンと呼ばれる支配者がいて、そこには大きな供犠所があった。

 そこで十二名の神殿付司祭が最高のコジ(首長)となる習慣だった。

 彼等は供犠を主宰し、人々の間で判決を下さねばならなかった。

 彼等はディーアルまたドウロートナルと呼ばれ、

 全ての民衆は彼等に仕え尊敬を表わさなければならなかった。

 オーディンは偉大な戦士で、広く各地をめぐり、多くの国々を所有していた。

 (中略)

 オーディンはしばしば何年も旅に出ているほど

 長い間出かけていることが多かった。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 オーディン

 オーディンの名前

ゲルマン-1


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:264頁

 第四章 ゲルマン-1

  ゲルマン German が

 シュメル語の階段を表す galm を語幹とする galm-an が祖語で

 「野牛の階段」 「野牛の角」 を意味していろとは既に述べた。

  「ガリア戦記」はベルガエ人の北にはレーヌス河、

 現在のドイツ名ライン河の北方にゲルマニー Germani 人がいることを記す。

 そのなかにあって主要で強力な部族はスエービー Suebi と称する。

 エルベ河からヴィンシュトラ河の広大な地域を支配していた一族であった。

 北海に流れ入るエルベ河の下流地域にニーデル・ザクセン地方はかって

 サクソニア、ゲルマン神話にサクスランドとして登場する。

 また北方デンマーク領内フュン島及びその島内の町

 オーデンセ Odense もゲルマン神話に登場する。

 谷口幸男の「エッダとサガ」に紹介されている

 「ヘイムスクリンガラ」はゲルマンの開闢神話であるが、

 その第二章の一部を転載する。
   

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ゲルマンの開闢神話:時間

 ライン河

 エルベ河

 ニーデル・ザクセン

 谷口幸男

 サガ

 古エッダ

 スノッリのエッダ



 
ガリア戦記

 ガリア概説[編集]

 1節[編集]
 ガリアの情勢
 Gallia est omnis divisa in partes tres,
 ガリアは全体で三つの部分に分けられており、
 quarum unam incolunt Belgae, aliam Aquitani,
 それらの一つにはベルガエ族が住み、別の一つにはアクィーターニー族が住み、
 tertiam qui ipsorum lingua Celtae, nostra Galli appellantur.
 三つ目には、彼ら自身の言葉で「ケルタエ人」、
 私たちの言葉では「ガリア人」と呼ばれている者たちが住む。
 Hi omnes lingua, institutis, legibus inter se differunt.
 これらすべての者たちは、言葉・風習・法律において互いに異なっている。
 Gallos ab Aquitanis Garumna flumen, a Belgis Matrona et Sequana dividit.
 ガリア人を、ガルンナ川(現ガロンヌ川)が
 アクィーターニー族から、マートロナ川(セーヌ川支流)と
 セークァナ川(現セーヌ川)がベルガエ族から、分け隔てている。
 ベルガエ族
 Horum omnium fortissimi sunt Belgae,
 これらすべての者のうちで最も屈強なのはベルガエ族であるが、
 propterea quod a cultu atque humanitate provinciae longissime absunt,
 それというのも(彼らが)ローマ属州の(外面的)洗練さや(内面的)人間性から
 最も遠く離れているからであり、
 minimeque ad eos mercatores saepe commeant atque ea quae
 ad effeminandos  animos pertinent important,
 彼らのところへは、彼らの心を軟弱にする類いのものを持ち込む商人たちが
 滅多に行き来しないからであり、
 proximique sunt Germanis, qui trans Rhenum incolunt,
 quibuscum ontinenter bellum gerunt.
 かつ近隣にはレーヌス川(現ライン川)の向こうに住むゲルマン人がいて、
 彼らと絶え間なく戦争を行なっているからである。
 ヘルウェーティイー族
 Qua de causa Helvetii quoque reliquos Gallos virtute praecedunt,
 このような理由からヘルウェーティイー族もまた
 残りのガリア人に武勇でまさっているが、
 quod fere cotidianis proeliis cum Germanis contendunt,
 というのは(彼らは)ほとんど毎日の戦闘をゲルマン人と戦っており、
 cum aut suis finibus eos prohibent aut ipsi in eorum finibus
 bellum gerunt.
 彼らの領土からゲルマン人たちを遠ざけるか、
 または彼ら自身がゲルマン人の領土で戦争を行なっているがゆえである。
 ガリアの地理区分[編集]
 Eorum una, pars, quam Gallos obtinere dictum est,
 それらの一つ、ガリア人が定住すると言われている部分は、
 initium capit a flumine Rhodano, continetur Garumna flumine,
  Oceano, finibus Belgarum,
 始まりはロダヌス川(現ローヌ川)に取り、
 ガルンナ川(現ガロンヌ川)・大洋(大西洋)・
 ベルガエ族の領土で囲まれており、
 attingit etiam ab Sequanis et Helvetiis flumen Rhenum,
 vergit ad septentriones.
 セークァーニー族とヘルウェティー族から
 さらにレーヌス川(現ライン川)に接していて、
 (ローマ属州から見て)北方に位置している。
 Belgae ab extremis Galliae finibus oriuntur,
  pertinent ad inferiorem partem fluminis Rheni,
 ベルガエ族(の邦)はガリア人の領土の最も外縁から始まり、
 レーヌス川(現ライン川)の下流部分へ及び、
 spectant in septentrionem et orientem solem.
 (ローマ属州から見て)北東に面している。
 Aquitania a Garumna flumine ad Pyrenaeos montes et eam partem
  Oceani quae est ad Hispaniam pertinet;
 アクィーターニアはガルンナ川(現ガロンヌ川)から
 ピュレーネー(ピレネー)山脈へ、
 そしてヒスパーニア(現スペイン)に至る大洋の部分に及んでおり、
 spectat inter occasum solis et septentriones.
 西と北の中間に面している。

2013年10月11日金曜日

大陸ケルト人-10


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:263頁

 第四章 大陸ケルト人-10

 アクィーターニー人 Aquitania は現在のガスコーニュ地方で、

 語幹 aqui- はグルジア語の ochar ないし achar に関係し、

 金属の「金」に因む名称で、ガスコーニュの同義異名と思われる。

 ケルタエ人はケルト人のことであるが、ローマ人が Galli と呼び、

 ケルトの地を Gallia と呼んだというのがその意味である。

 この名称はカナアンの紀元前後の名称 Galilaea の同祖語である。

 大陸ケルト人は金属商人たるスバル人の影響の下に青銅を取り扱い、

 この頃には鉄器技術にも精通して勢力を拡大した人々である。

 「ガリア戦記」は「ガリー人はガルンナ河でアクィーターニー人から、

  マトロナ河とセクアナ河でベルガニ人から分かれる」と続け、

 その勢力地域が現在もフランスの南部ランゴバルト地方から北西に向かって

 流れるガルシナ河以北、パリを流れる現代名セーヌ河以南といっている。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 《Key Word》

 ガリア戦記 

大陸ケルト人-9


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:262頁

 第四章 大陸ケルト人-9

  ローマ時代カエザル、つまり、ジュリアス・シーザーが著した

 「ガリア戦記」の第一巻(紀元前五八年)の最初は

 「ガリアは全部で三つに分れ、

  その一にはベルガエ人、

  その二にはアクィーターニー人、
   
  その三にはその仲間の言葉でケルタエ人、

  ローマでガリー人と呼んでいるものが住む」から始まる。

 ベルガエ人は現在のベルギー辺りで、その国名の祖語である。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ガリア戦記

2013年10月10日木曜日

大陸ケルト人-8


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:261頁

 第四章 大陸ケルト人-8

  後から渡来した大陸ケルト人達は

 先住ケルト・イベリア人の造形的工芸文化を破壊せずに

 踏襲し、発展させたのである。

 イングランドの錫の産地デボンよりさらに南端のコーンウォールにある

 「ケルト十字架」の石造物にみられる十字は正確にマルタ十字形であり、

 原初期に属するものとみられる。

 後のものにみられる装飾の全く無い、石柱の頭部に円形を刻み、

 その中にマルタ十字を彫ってあるに過ぎない。

 未だキリスト教の影響を受けていない素朴な十字である。

 このコーンウォール Cornwall とウェールズ Wales は本来同語で

 「角形のウェールズ」と理解されている。

 Wale は地中海の島マルタ島の首都 Valletta の語幹 val である。

 つまりシュメル語 bar(交差する)と同じ「十字」を意味するのである。

 また、corn はギリシャ語の κορνη (棒、杖) 、

 カナアン神話の神名ホロン Horon 、

 ひいてはインドの祭ホーリー祭の holi と関係する。

 Cornwal は棒、ここでは柱と理解してよいと思うが、

 「柱(棒)の上の十字」の意義である。

 「ケルト十字架」に戸外においては石柱の頂に

 マルタ十字を乗せているのが普通である。

  大陸ケルト人達が先住の民の文化を抹殺しなかったのは、

 彼等自身もメソポタミアのケルト(スバル)人の文化の影響を強く受けて

 成立してきた共通の土壌にあったからである。

 ハルスタット文化にみられる渦巻装飾などはその典型である。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ケルト十字架

 コーンウォール

 ハルスタット文化

 渦巻装飾

大陸ケルト人-7


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:260頁

 第四章 大陸ケルト人-7

  アイルランドには「ケルトの十字架」と呼ばれる特異な十字造型がある。

 これは本来大陸ケルト人、つまり、

 インド・ヨーロッパ系ケルト人の文化によるものではない。

 紀元前五・六世紀

 彼等がこの島国に侵入する以前にイベリア半島のケルト・イベリア人が
 
 マルタ十字紋、渦巻紋、組紐、ジクザク紋を持って来たのである。

 鉱物を探究し続けた彼等はフランスのアルモリカと呼ばれたブルターニュ地方、

 また、

 イングランドの西南の端れデーボン辺りで錫を入手することができたのである。

 デーボンに近い Śonerset は

 金属を溶解する Sohmelze あるいは鍛冶工 Smith と係わる。

 ローマ時代アイルランドは Hibernia と呼ばれたが、

 イベリア半島のその名と関係し、「崇拝者」の意であり、

 国名 Eire もシュメル語 ār(神を賛美する)の同祖語と考えられる。

 スペインの感嘆詞「オーレ」にも関係する。

 ドルイド教の祭司たちの本拠地であったことを考慮すれば

 理解できるところである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ウルミエ湖
 オルーミーイェ湖あるいはウルミエ湖はイランの北西にある塩湖

 ケルトの十字架
 

大陸ケルト人-6


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:259頁

 第四章 大陸ケルト人-6

  英語に「神にする、祭る」を表す deity を基にした

 deity(神、神性)、deism(自然神教)、deist(自然神教者) 、

 また、ラテン語には「神、神人」を表す dei があり、

 アイルランド語 diar は

 ギリシャ語の zeus の同類語 deus/di と同じく神を表す。

 deye は権威となる。

 また、ユダヤ人を称するヘブライ語 Judea は、

 シュメル語で

 月を表す zu から転訛した Ju 月を信奉する者(月信奉者)の意味である。

 よって Drid は tree-deist 樹木神教徒を表すと考えられる。

 その宗教的観念における聖木の役割はまさに

 『階段』(シュメル語の gala )である。

 ドイツ語の Tritt は「足踏み」ではあるが、

 「高壇」や「はしご(小さい)」の意味を持つし、

 英語の tread は同様に「踏む」ことであるが、

 階段の「踏み段」「はしごの段、横木」 を表し。

 階段の機能と係わる。

 両語とも druid と訓音が近似しており、

 ドルイドから派生した用語と思われる。

 アイルランドの前出「樫の木 cill-dara 」は教会名である。

 同国の首都ダブリンに近い地方名 Kildare はこの樫の木に由来し、

 隣接の Ofaly は英語のoffer つまり、供犠の意に依るものであり、

 その首都名 Dabrin シュメル語の司祭を表す Śabra の同祖語である。

 イランのウルミエ湖の東にある町 Tabriz と同様である。

 同市の北に Savaran 山があり、その都市名の由来を物語っている。

 ドルイド教の祭司たちの本部があった史実に対応する地名である。
 
 樹木を表す dara も

 シュメル語の「成長、新緑の」を意味する śar とは同祖と思える。 


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》
 
 

大陸ケルト人-5


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:258頁

 第四章 大陸ケルト人-5

  ケルト人の宗教的権威者はドルイド僧である。

 その存在は大陸はもちろん、アイルランドまで広く知られている。

 特にアイルランドのダブリン地方はドルイド教の大本山があった。

 ドルイド Druid(英語)、Druide(ドイツ語)、δρουιδαι(ギリシャ語)と

 表記されるが、その字義については未だ確定されていない。

 彼等は動物犠牲祭の主宰者で常に槍を保持していた。

 その点においてその職席は「ハフリ」である。

 ケルト人の宗教はこのドルイドの名に負ってドルイド教と称される。

  ギリシャ語に「槍持」を表す用語 δορυ-ψοροζ(槍-持つ) があり、

 doru は槍ではあるが槍の柄を指し、「木で作ったもの」の意で、

 本来の意味は「棒材」で「木材」を表す。

 アイルランドのゲール語においても cill-dara(樫の木) のように

 dara は「樹木」で、英語の tree と同類である。

 Drui- はこの「樹木」の同類と考えられる。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ドルイド僧

 ゲール語

2013年10月8日火曜日

大陸ケルト人-4


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:257頁

 第四章 大陸ケルト人-4

 彼等はケルトの名称を技術・文化の総称として

 北メソポタミアのカルトイベリ人から受け継いだのである。

 彼等がドナウ川の上流で西アジアとは違う彼等の個性に合った

 ハルシュタット文化を展開し、

 大量の青銅器を製造したのは紀元前十世紀頃からである。

 ハルシュタット地方からは銅が産出した。

 金属を手に入れたケルト人達は勢力を拡大し、

 紀元前六世紀を過ぎるとイベリア半島にも至り、移植するようになる。

 また、
 
 ドーバー海峡を渡ってブリタニアからアイルランドへと植民者を拡散させた。

 また、

 紀元前三世紀にはその一派がポルポルネス海峡を渡ってアナトリアへ入り、

 紀元前二〇〇年頃にアナトリアの中央にガラチアの中央に

 ガラチア国を成立させた。

 特殊な金属で Britnnia metal  がある。

 ブリタニアの特産の錫と銅、アンチモニー及び亜鉛を

 加えた合金で銀に似ているという。

 またフランス語で étainblac「錫」であるので

 意味がまさに「白」であったと考えられる。

  ここでローマ時代ブリタニアとよばれた Briton の地名について

 述べておきたい。

 Briton はフランスの Bretagne と祖語を同じくする。

 それにまたシュメル語の zabar 、カナン語の bazel も同祖である。

 その意味は「青銅」である。

 カナン語と同様であるが、 za-bar が bar-za となったものである。

 修飾語が後に付くか、

 前になるのかの文法的法則の違いによって表記が変わったものである。
 
 ヨーロッパ語は修飾語が先となる。

 シュメル語は後である。

 Bar はシュメル語において barbar(babbar) の同類語で

 「白い、輝く」に同義である。

 Za は「金属」あるいは「鉱石」を意味する。

 古代においてブルターニュ、ブリテンは錫の重要な産地であった。

 Za はドイツ語の zinn 、フランス語の étain 、英語の tin で「錫」である。

 Zabar、barzel、Briton、bretogne は「輝く金属」の字義となる。

 グルジア語に verzhx(銀) となっている用語である。

 これらの地方名は古代の青銅器時代にスバル(ケルト)人が錫を求めて

 渡来したことに始まる地名であろう。

 ブルターニュ地方、ブリテンのコーン・ウォール地方は

 現代においてもケルト人の多く住む地域である。

 スバル(ケルト)人と大陸ケルト人との関係については確定的な判断ができない。

 一九世紀以降の人類学者の研究で大陸ケルト人が

 鼻高で金髪のゲルマン人と似た人々との判断が覆されつつある。

 その様子を寺田和夫「人種とは何か」から転載して紹介する。

 「フランスの著名な人類学者ピエール・ポール・ブローカは

  フランスの身性の研究に基づいて、

  ヨーロッパ大陸でケルト語をしゃべる唯一の地方である

  ブルターニュには背の低い褐色の毛髪をもった人々のいることを指摘した。

  同じ頃(1865年) イギリスでも、

  ケルト語族とくにウェルシュ人は

  小さくて皮膚も濃色であることが明らかになった。

  古典に記されているケルトは背が高く色白であるという

  身体特徴とは矛盾する結果である。

  1870年代には

  ドイツの学者達がシュヴァルツヴァルトやアルプスの辺鄙な土地で

  テュートン的でない短頭の人々を見つけ、これもケルト族であると考えた。

  ケルト系の地がその地方に多いのも傍証とされた。

  十九世紀の終わり頃は、ケルト族とは、

  歴史上の既述とは逆に、

  濃色、短頭の人種と考えるのが人類学者の一致した意見になったと、

  英国のリプレーが記している。」


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ハルスタット文化

 ドーバー海峡

 ブリタニア

 コーン・ウォール

 寺田和夫「人種とは何か」

 ピエール・ポール・ブローカ

 シュヴァルツヴァルト

大陸ケルト人-3


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:256頁

 第四章 大陸ケルト人-3

  ところで、「肉入りスープ」のことをギリシャ語で、

 zoomos というが、この用語は日本にやって来て「雑煮」と転訛した。

 お正月の元旦の朝に家族皆で食べる「もち入り汁」のことである。

 平安時代に祝祭が禁止された後に餅に替わったが、

 それ以前は「肉入り汁」であったと思われる。

 西アジアの習慣がどうして日本へ入ってきたのだろうか。

 祝祭が日本の古代において盛んに行われていたことは既述の通りである。

  黒海の西海岸にルーマニアとブルガリアの国境を流れるドナウ川がある。

 この川は古代にイシュタル川と呼ばれた。

 イシュタルはアッシリアでアシュタルと呼ばれ、

 カナアンでイシュタルとなった女神の神名である。

 トラキアからエブロス川を遡及し、ドナウ川沿いに影響した

 スバル人の青銅器技術はさらに大陸の 内奥へと伝播されたと考えられる。

 スバル人自身が進出していったかどうかは定かでない。

 黒海沿岸地帯で吸収された金属(青銅器)加工技術と

 祝祭ないし牛角崇拝の信仰文化が、

 この地方の民族に依って運ばれたとも考えられる。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 雑煮

 雑煮

 ドナウ川
 ドナウ川(ドナウがわ、ラテン語:Danubius、スロヴァキア語:Dunaj、セルボクロアチア語:Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, ブルガリア語: Дунав, ルーマニア語: Dunăre、英語、フランス語: Danube)

 イシュタル
 イシュタル (新アッシリア語: DINGIR INANNA、翻字: DMÙŠ、音声転写: ishtar)

 黒海

2013年10月7日月曜日

大陸ケルト人-2


 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:255頁

 第四章 大陸ケルト人-2

  その頃には、

 スバル人であるケルト人はアナトリアの西端エーゲ海沿岸まで

 到達していただろうと思われる。

 また、

 アッシリア、ヒッタイトの興隆ににより北メソポタミアとの連絡を

 断たれたケルト人の集団が

 ダーダネルス海峡あるいはポスポラス海峡を渡って

 ヨーロッパ大陸へと入った形勢ががある。

 トラキアのエーゲ海へ流れ込む川にエブロス Ebros 川があるが、

 この名称は Iberi に係わる。

  トラキアの古民族にサトライ人がいた。

 ラテン語の Satrae は雑煮料理を意味する。

 サトライはユダヤの過越の祭の名称でもあり、

 この民族は祝祭を行う人々である。

 過越の祭の慣習に従うと、旧約聖書・出エジプト記第十二章に詳しいが、

 この日、

 子羊犠牲を捧げ、血を天幕に塗り、災いの降りかからないことを祈願する。

 トラキアの地に祝祭を行う民族がいたことは重要である。
 

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Ir aq).

 ハラフ期の土器につ い て
  
 まんどぅーかネット

 シュメル絵文字 

 シュメル語・日本語

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur 

 《Key Word》

 ヒッタイト

 ダーダネルス海峡

 ポスポラス海峡

 トラキアのエーゲ海
 トラキア(ラテン語:Thracia、トルコ語:Trakya)

 過越
 過越(すぎこし、ヘブライ語: פָּסַח‎、英語: Passover)またはペサハ (pesach)

 旧約聖書・出エジプト記第十二章