2014年6月24日火曜日

稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏②


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:664頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 稲荷:黄金山信仰(1)紀伊郡と紀氏②

  山城国における紀氏の存在は、

 伏見区の西南に位置する八幡市に鎮座する

 岩清水八幡宮の奉祭氏族が紀氏であることによって知られる。

 「岩清水八幡宮護国寺略記」によると、

 紀氏の一族である南都大安寺(奈良)の僧行教が

 貞観5年(863年)に宇佐八幡宮の祭神を移座したという。

 行教が宇佐宮に参着中

 「都の近くに移座し国家を鎮座せよ」との信託を受け、

 山崎辺りまでやってきた時、

 また「移座するところは岩清水男山の峰なり」との

 託宣を受けたものと伝える。

 しかし、

 本当のところはここが紀氏の勢力にあった痕と考えられる。

 八幡宮が遷座される以前に

 既に現在同社の摂社となっている岩清水社があったとみられる。

 なぜならば、

 岩清水社には今でも清水が湧き出る泉(井)があって

 神聖視されていたからと考えられる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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