2014年6月1日日曜日

八溝山:薬師信仰の山(6)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:640頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 八溝山:薬師信仰の山(6)

  都々古別神社の場合でも、

 八槻と久慈川を挟んだ向には二柱神社があり、

 八槻地区の字名双の平がある。

 八槻の地名については「陸奥国風土記」逸文に

 日本武尊の射た八本の矢が芽を出して槻の木(現在の欅)になったとか 、
 
 日本武尊が射た矢が着いたので矢着(つき)となり

 後に八槻となったとの伝承を載せているが、

 後に地名に合わせた作り話に過ぎない。

 「ヤッキ」はサンスクリット語の yāti(Yā)-duhkha の転訛である。

 Yāti は本来「動く、行く、歩く」であるが、

 「逃げる、のがれる、通過する」から

 「消失する、消滅する」の意味となり、

 duhkha は「苦悩、不幸、困難、悲惨」でその音写が「受苦」であり、

 「ヤッキ」は「苦悩逃れ」「苦悩別れ」である。

 duhlhatā は仏教において八苦性として論理付けられている。


 八苦とは

 生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、

 雖復希求而不得苦、略説五取蘊苦である。

 「八槻」をこの八苦とも解釈できるが、

 以下に説明する「都々古別」の語義から

 「苦悩のがれ」とする方が妥当である。

 因みにこの「受苦」は長野県の中信地方(松本市付近)の

 方言「ずく」となっている。

 「ずくを出す」「ずくがある」などと使われるが

 「困難に向って進む」「苦労をする気力」の意味である。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 

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