2012年5月15日火曜日

ヤマトバル陥落以外にない東方大移住の出発点



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録28:10頁


 『ヤマトバル陥落以外にない東方大移住の出発点
 「ヤマトバル陥落以外にない東方大移住の出発点

 沖縄は自称を「ウルマ」と言う。

 ウル国(マ)であり、漆島=ウル之国(シマ)の姓もある。

 アムールも隼人町に天降(アモリ)川があり、

 中国ロシア国境にアムール河がある。

 その東方移動は間違いないという証拠が、

 このほかにもびっしりと残っている。

 <リム・シン>は<エラム>の<ヤマトバル>を都にした。

 この地名が我が国の古代の都・

 <ヤマト>の語源だから、我が国まで来た人たちは、

 この<ヤマトバル出身者>だと判る。

 すると<永良部>が我が国統一の最古代の重要地だったことか理解できるのである。

 では何故?

 そんなに遠隔のイラン・イラクなどから

 絶海の孤島といいたい日本列島まで移住してきたのか?

 という疑問にも、

 これまで見てきた言語の一致などから、

 この「ヤマトバルの陥落」が契機になって、

 移動が始まったと判断できるし、

 何故?本拠を海中の国・沖縄に置いたのか?という疑問も、

 4頁の地図でご覧の通り、

 当時はペルシャ湾が北に深く伸びていて海に面していたので、

 ヤマトバルもスサもウルもすべて、

 そこの住民たちは海洋人だったからである。

 だから戦いが不利とみると彼等は、

 敵の支配下で暮すのを嫌って、すぐ海に乗り出した。

 そして東に進んで転々としながら沖縄海域にやってきて定着した。

 そこで<稲敷>から中国へ移住した<殷人>と出会い、

 互いに助けあって、

 宝貝貨幣産業の黄金時代を築いたのだと推理できる。

 それをこれから、さらに正確に跡づけてみよう。

 『参考』
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