ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月18日金曜日
インド→イナ(稲)→イン(殷)の移住は史実
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:17頁
『インド→イナ(稲)→イン(殷)の移住は史実』
「インド→イナ(稲)→イン(殷)の移住は史実」
しかし殷人は本当にシュメル人だったのであろうか?。
その名からみて、インドの方が深い関係がありそうである。
その答は我が国の特産物のように考えられている鰹節にある。
それは古代から、
インド西岸にあるラッカデヴ諸島の名産だったのである。
この諸島はまた宝貝の宝庫でもある。
日本の鰹節と、
殷帝国を支えた<古代沖縄の宝貝通貨>が、
シュメール人の移動コースを記録している。
それはラッカという発音で<サッマ>に結びつく。
彼等はインド人として我が国へきて、
次第に北へ東へと拡大して分布圏を拡げた。
その歴史を今ある主な地名でたどってみると次のようになる。
まず『後漢書』が書く
後漢の光武帝が授けた印綬=福岡の志賀の島出土金印の
「漢の委奴国」=稲築(いなちく)(福岡)。
因の島(広島)
因幡(いなば)(鳥取)
稲美(いなみ)(兵庫)
伊南(いなみ)(兵庫・徳島)
稲(いな)・猪名川(兵庫)
員弁(いなべ)(三重)
稲沢(愛知)
伊那(岐阜)
引佐(いなさ)(静岡)
稲城(いなぎ)(東京)
印旛沼(千葉)
伊奈(埼玉)
稲敷・伊奈(茨城)と続き、
小地域名には<稲>、<稲葉>、<稲荷>、<稲田>など
<稲のつく地名>が多数あるが茨城以北には分布しない。
<殷墟>と<稲敷>を結ぶ<レイライン>は、
<殷>から真東を求めて、
偶然そこに稲敷があっただけだという人もあったが、
それだと、こんなに移動コースに匹敵する地名分布だけ残り、
それ以北に分布しない、こんな現象は絶対に起こらない。
インド→イナ→インの移住は史実である。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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