ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月23日水曜日
中国初期王朝時代(前2000-前1000年ごろ)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:27~28頁
『中国初期王朝時代(前2000-前1000年ごろ)』
「中国初期王朝時代(前2000-前1000年ごろ)」
「図:中国初期王朝時代(前2000-前1000年ごろ)」
「黄河中流域」
辛店文化・寺窪文化
二里頭文化
「夏王朝」二里頭遺跡洛陽・鄭州
「商王朝」殷墟遺跡安陽・太原
「周王朝」周原遺跡西安
「鄭州商域」
「三星堆文化」三星堆遺跡・金沙遺跡・成都
「十二橋文化」
「揚子江下流域」
「薛家崗文化」
「呉城文化」
「馬橋文化」
「湖熟文化」
「初期王朝時代」
黄河中流域に大型の宮殿跡や青銅礼器(れいき)類などを持った
二里頭(にりとう)文化
(「夏(か)」王朝か)が出現し、
初期王朝時代をむかえる。
その後、
商=殷
周(しゅう)
の両王朝が興り、
黄河流域を中心に支配。
ただし、これら初期王朝の支配領域の「外」では、
中央の影響を受けながらも在地的な文化が花開き、
四川でも
三星堆(さんせいたい)文化や
十二橋(じゅうにきょう)文化が隆盛した。
三星堆文化やそれに続く十二橋文化は、
成都平原一帯なった独自の文化圏を形成した。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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