2012年5月12日土曜日

シュメルから来た名と、混入史実の分析



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録28:7頁


 『シュメルから来た名と、混入史実の分析
 「シュメルから来た名と、混入史実の分析

 ラガシュの8代目の王の粘土板には、

 王妃が<アダプ>国の王妃・<エン・アグリダ・ティ>から贈物を受け、

 錫と鉛と黄銅を返礼にしたと書いてある。

 <アダフ>は武埴安彦の妻が阿田媛で、

 <阿多>という地名が今も鹿児島県にあり、

 それに「部」をつけたものに合う。

 <アグリダ>という名も

 ギリシャ・ローマの<アグリッパ>、<アグリッピーナ>になり、

 我が国でも昭和初期頃まで、

 南九州に多かった「アグリ」という名は、

 義士で有名な播州赤穂の浅野内匠(たくみ)の守(かみ)の奥方の名も同じであった。
 
 他に使用例のない名なので、そのルーツがわかる。

 播州は播磨で、

 南九州の巴利国(マ)の人々の拡大移動先であることは、

 もう詳細に確認済みである。

 次いで<ラガシュ>の王になったのが<ウルカギナ>である。

 彼は悪の温床になっていた税制や、神官や、官吏。

 軍人の横暴や横領を規正して国民に聖君と讃えられた。

 この王の名前もまた崇神天皇の名乗りと合う。

 <ウ>=<オ><御>、<ル>=<ムァ>・<間>、<カキ>=<城>、<ナ>=<奴>、=御間城の天皇。

 『日本書紀』は崇神天皇12年9月、

 はじめて人民を校し、調役を課す。

 以て天神地祇和(なご)み、百穀みのり、家は給し人は満ち足りて、天下太平なり。

 故に称賛して「御肇国天皇」という。

 とやはり聖君として讃えている。

 これは「崇神紀」がウソなのでなく、
 古い記憶または文献が挿入された際に混入しただけで、
 総て貴重な祖先の史実であることに変わりはない。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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