ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月12日土曜日
シュメルから来た名と、混入史実の分析
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:7頁
『シュメルから来た名と、混入史実の分析』
「シュメルから来た名と、混入史実の分析」
ラガシュの8代目の王の粘土板には、
王妃が<アダプ>国の王妃・<エン・アグリダ・ティ>から贈物を受け、
錫と鉛と黄銅を返礼にしたと書いてある。
<アダフ>は武埴安彦の妻が阿田媛で、
<阿多>という地名が今も鹿児島県にあり、
それに「部」をつけたものに合う。
<アグリダ>という名も
ギリシャ・ローマの<アグリッパ>、<アグリッピーナ>になり、
我が国でも昭和初期頃まで、
南九州に多かった「アグリ」という名は、
義士で有名な播州赤穂の浅野内匠(たくみ)の守(かみ)の奥方の名も同じであった。
他に使用例のない名なので、そのルーツがわかる。
播州は播磨で、
南九州の巴利国(マ)の人々の拡大移動先であることは、
もう詳細に確認済みである。
次いで<ラガシュ>の王になったのが<ウルカギナ>である。
彼は悪の温床になっていた税制や、神官や、官吏。
軍人の横暴や横領を規正して国民に聖君と讃えられた。
この王の名前もまた崇神天皇の名乗りと合う。
<ウ>=<オ><御>、<ル>=<ムァ>・<間>、<カキ>=<城>、<ナ>=<奴>、=御間城の天皇。
『日本書紀』は崇神天皇12年9月、
はじめて人民を校し、調役を課す。
以て天神地祇和(なご)み、百穀みのり、家は給し人は満ち足りて、天下太平なり。
故に称賛して「御肇国天皇」という。
とやはり聖君として讃えている。
これは「崇神紀」がウソなのでなく、
古い記憶または文献が挿入された際に混入しただけで、
総て貴重な祖先の史実であることに変わりはない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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